アメリカの裁判で使われる表現に「People v. Toyoji (市民対トヨジー)」というのがある。


この場合、「市民」とは検察のことで、検察がトヨジーを法律違反で訴える、ということになる。


検察が、「市民を代表して被告を訴える」という意味なのだろう。しかし、訴えられる側も市民であれば、少し違和感がある。


一方は「市民」という大義名分と公的権力を持ったプロの法律家。もう一方は、法律の知識も権力も財力もない本当の市民。戦っても、ちょっと勝ち目がない。


「Radical Acts of Justice (正義と言う過激な行動)」の著者でブルックリン法科大学院教授のジョスリン・サイモンソンは、「有罪が確定するまでは無実と言われるが、被疑者が保釈金を払えない時は何ヶ月も拘留されることがある」と指摘する。


また、「有罪を認めればすぐに釈放してやる」と言われ、不当な司法取引に応じる人も多いと言う。


ニューヨークで、一般市民の寄付を募って、拘留された被疑者の保釈を援助している団体の代表は、「今の制度では、黒人で、銀行口座にお金がなければ無実でもジェイルから出られない」という。


10年以上前のことだが、僕の友人も、不法滞在の疑いで移民局の捜査官に連行され、留置場で「国外退去に同意する署名をすれば即釈放する」と言われたが、あくまで署名を拒んで、最終的にアメリカ滞在を認められた例がある。1人で戦い抜くのは赤だったと思う。


アメリカには130万人以上の弁護士がいるが、恩恵に預かっているのは、大企業や富裕層が多く、普通の市民にはあまり縁がない気がする。


お金がないと守ってもらえない社会では希望がない。本当の「市民」のための法律、司法制度、情報、サポートが必要だろう。


Photo courtesy of The New Press