今朝は、寝ながら考えていた「トヨジー伝」を1本書いて、歩いて歯医者に行き、歯のクリーニングとレントゲン撮影。


今はハワイアンレストランでロコモコ(ミニサイズ)を食べている。ご飯とマカロニサラダとハンバーグと卵が材料なので、料金14ドルのうち10ドル以上の利益があるのではないか。


さっき寄った図書館で、「人はなぜ虫を嫌い、愛するのか」(The Infested Mind by Jeffrey Lockwood) と言う本を見つけた。それによると、人は本能と学習によって虫を嫌う。と同時に、人間は、生まれつき、他の生物を愛する本能(生命愛=バイオフィリア)がある。


小さな子供がダンゴムシをいじったり、アリの行列に惹きつけられるのも、この生命愛によるものだと言う。


僕は、人間には、もう一つ、大きな本能があると思う。世界の中で生きる自分の「意味」を求める本能、つまり意味への愛(ミーニングフィリア=Meaningphillia)だ。

 

なぜなら、人間は自然の中で生きていると同時に、社会、国家、法律、経済などの意味の生態系の中で生きている。その中で、自分の居場所を探しているからだ。


人間が歴史の中で作ってきた「意味の物語の森」をユヴァル・ハラリは解説している。いわばマクロ意味生態系学だ。


僕が勝手に提唱している「人生発酵学」は、それと比べれば、ミクロ意味生態系学と言えないか。自分の人生の失敗、挫折などの経験を意味(物語)にする試みだからだ。


人間社会に法律や学歴や常識などの意味を生成する「発酵タンク」があるように、個人にも自分の人生の意味を生成する「発酵タンク」がある。


個人が生み出す意味が、社会が生み出す意味よりも影響力が小さいとは限らない。個人が生み出す意味が、社会の意味を包み返し、変えていくこともあるだろう。


1人の人間から、どんな変化が生み出せるか、小さな実験を重ねてみたい。