アメリカ永住権が取れて、ロサンゼルスに戻ってきた1991年9月、加州毎日を退職し、読売アメリカ(当時は、ニューヨーク読売)に入社した。


上司は一回り年上の女性記者で、英語がうまく、頭の回転が早く、ジョークをバンバン飛ばしながら、フットワークも良い。


「オトヨ(トヨジーのニックネーム)、今週の記事候補は?」


「ビバリーヒルズで若手ミリオネアー会結成の取材をしました。後はパトカーの車体に広告を入れる市議会の議案。日本語補習校の校舎探しが苦戦、でしょうか」


「じゃあ、ミリオネアー80行、パトカー20行、補習校のトラブルは進捗状況しだいね」


ロサンゼルス支社には、インターネットが普及する前から、本紙の印刷データを受信し、現地印刷する高価な装置が据え付けられてあった。


休憩室の冷蔵庫には、ジュースやコーラがびっしり入っていて飲み放題だった。


翌年4月、ニューヨーク本社に1カ月間の出張を命じられた。


夕方、JFK空港に迎えに来てくれたのは、渋いハードボイルド系の、頬に傷のある男だった。


「営業部の中地。通称ナカヂーです」


暗い印象の理由はじきにわかった。最近失恋したらしい。結婚資金に貯めたお金をすっからかんになるまで使い果たそうと、毎晩ミッドタウンで飲んでいる。


僕もニュージャージーの独身寮に帰って寝るよりも、飲んでいた方が楽しいので、一緒に毎晩飲み歩いた。


ニューヨーク滞在中は先輩記者について市議会を取材したり、コロンビア大学で日本文学研究者ドナルド・キーンを取材した。


編集長がインタビュー記事を書き上げるスピードに驚いた。


4月29日、黒人男性を暴行したロサンゼルス市警察(LAPD)の白人警官4人が無罪評決を受けたのを機に、ロサンゼルスで、黒人住民を中心に暴動が発生した。


ロス支社の上司は「私が戻って来なかったら殉職したと思って」と言い残し、黒い煙が上がるサウスセントラル地域に向かって車で飛び出した。


ニューヨークでも、マンハッタンで黒人住民がデモ行進を始めた。たまたま外に出ていたナカヂーと僕がデモを追いかけていると、カメラマンも駆け付け、先頭を歩く男たちの怒りの表情を張り付くように写真に撮っている。


ニューヨークの抗議行動は幸い暴徒化しなかった。ミッドタウンの商店やレストランの多くは臨時休業していたが、ナカヂーと僕は午前4時まで営業している日本人限定のクラブで飲んでいた。


日本から企業進出が相次ぎ、五番街に日本のビジネスパーソンが大勢闊歩していたニューヨークも、この後、少しずつ日本の存在感が薄れていった。


ある日、ロス支社の電話が鳴った。


2歳の検診をした次男の担当医からだ。


「息子さんに白血病の疑いがあります。再検査しますが、ほぼ間違いないでしょう」


白血病と聞いて、がく然とした。

(続く)


Photo courtesy of Fifth Avenue