『The Self Delusion(幻想の自分)』by Gregory Berns を読んでいる。


著者はエモリー大学の心理学教授で、近年の神経科学の知見をもとに「自分とは何か」を探っている。


本書の中心的な主張の一つはシンプルだ。

The answer is: whoever you think you are.
(答えは、あなたが思っている“あなた”である)

つまり「自分」とは固定された実体ではなく、その時点で自分が信じている“自己像”だということだ。


人生を振り返るとき、人は同じ出来事を語っているようでいて、実際には全く違うストーリーを語っていることがある。


どの出来事を選び、どこに意味を置き、何を“自分らしさ”の中心に据えるかは、その時点の自己認識によって変わるからだ。


そして重要なのは、現在の自己認識が変わることで、過去の意味づけさえも変化するという点だ。


人生の事実は変わらない。しかし、その解釈と物語は生きている限り更新され続ける。


この考え方は、『アトミック・ハビッツ』にも通じる。


習慣は「行動の繰り返し」ではなく、「アイデンティティの維持」であるという指摘だ。


つまり、

  • 「私は走る人間だ」→走る
  • 「私は語学をやる人間だ」→学び続ける

というように、行動は自己定義に従って自然に選ばれる。


僕自身にも、長く続いている“自己像”がある。


スペイン語を話す自分。ピアノを弾く自分。


それは、20年以上にわたって消えずに残っている「憧れとしての自己像」だ。


同様に、弁護士としての自分、政治家としての自分、作家としての自分といったイメージも、人生のどこかで繰り返し立ち上がってくる。


こうした「自己イメージのストック」は、単なる夢ではなく、行動の方向性を静かに規定しているように思う。


そして時に、それらのストーリーは現実を追い越すように先に存在し、行動を引き寄せていく。


もしかすると人生とは、「自己ストーリーを更新し続けるプロセス」なのかもしれない。


そしてそのストーリーの更新によって、過去の意味さえも書き換わっていく。


夢を追うというよりも、自分の中にある複数のストーリーのどれを主軸にするか。


そう考えると、「望んでいた人生が展開していく」という感覚は、偶然ではないのかもしれない。