子どもの頃、飼っていた猫の目を思い出すことがある。
あの目は、いま思えば「感情」よりも警戒や関心など「状況反応」に近かったのかもしれない。
子どもだった僕は、一種の友達のような感情を持っていた。
小学2年生の頃だったか、雑誌の記事を読んだ。
タイトルは「がんばったネコ、つよかったネコ」。
離島に一匹、置き去りにされ、冬を越した猫のストーリーだ。
猫自身はおそらく本能のままに生きたので、「頑張った」とは思っていないだろう。
しかし、たった一匹で食べ物を探し、寒さに震えながら春を迎え、再び飼い主と再会した猫の話を読んで猫の強さに感動した記憶がある。
猫のストーリーは奇跡でも成功でも勝利でもない。
言ってみれば、何とか生き延びた、だけ。
しかし、このサバイバルストーリーが僕にとって一生の「感動」の原型になった気がする。なぜなら、僕が感動するツボは、
- 奇跡より「生き延びる」
- 成功より「崩れないこと」
- 勝利より「踏んばり」
- 逆転より「小さな回復」
という、派手ではない“土俵際の粘り”みたいなものだからだ。
気付いてみれば、小学校の時も、今も感動するツボは同じだ。
パーキンソン病と共に生きていくジョン。
知的障害を抱えて生きるチャーリー。
生涯学習コースで学ぶ高齢者たち。
あるのは成功や大勝利ではなく、「生き続けること」「踏ん張り」と「小さな回復」だ。
ふり返ると、僕自身の生き方も、成功より「生き延び」「持ちこたえ」の方に重心がある。
たぶん、猫の目は、何も語っていたわけではないだろう。
成功でも奇跡でもなく、「生き延びる」という静かなドラマ。
その原型を、僕はあの猫から受け取ったのかもしれない。
Photo courtesy of Four Paws