今日、図書館で本を読んだ。
タイトルは忘れてしまったけれど、そこに書かれていた話が、なんだか胸に残った。
パンとピーナツバターを盗んだ少年の話。
腹を空かせた兄弟のために、どうしても何か食べさせたくて盗んだ。
普通なら、逮捕される。
でもその店では、警察に通報する代わりに、その少年に「駐車場の掃除をしてくれ」と頼んだ。
ルールではなく、人間としての判断を選んだんだ、と思う。
僕は5年前にパーキンソン病になり、一昨年の4月にカリフォルニア州の障害者保険の申請をした。
今日、ようやく弁護士から連絡が来た。
やっと認可されたらしい。
2年と1ヶ月。
こんなに時間がかかるとは思っていなかった。
「正当な手続きを経て、支給が決まりました」と言われても、その間にどれだけの不安や孤独があったか、制度はわかってくれない。
でも、誰が悪いとかではない。
きっと、誰も悪くないし、誰も助けてくれない──そんな感じ。
バーナード・ショーの『人と超人』という本の中に、こんな言葉がある。
普通の人は世界に適応しようとする。
でも、普通でない人は、世界を自分に適応させようとする。
だから、すべての進歩は、普通でない人によってもたらされる。
僕は、これを読んだとき、少しドキッとした。
ルールを守ることは大事だ。
でも、「世界の方がおかしい」と感じたとき、それにちゃんと異を唱える人がいないとダメなんだ、と思った。
けれど、現実には、それがとても難しい。
ルールの背後には、いつも「権力」や「同調圧力」があって、それに逆らおうとする人を、あたかも“間違っている側”に見せてしまう。
だから、誰かが「違う」と言ったとき、社会全体がそれを押しつぶしてしまうこともある。
少年を助けた店主は、そんな圧力に負けずに、人間としての判断を選んだのだろう。
2年と1ヶ月。
長かった。
でも、この経験があったからこそ、僕は「普通じゃない選択」の大切さを学べた気がする。
誰かをルールで裁くんじゃなくて、
その人の背景を想像できる人でありたい。
ルールより、人間。
そんな社会の方が、いいと思う。
そして、そんな社会を少しでもつくるには、
僕自身が「普通の人」じゃなくて、「ちょっと変な人」と見られる勇気が必要、と思う。
バーナード・ショーの言葉は、今も生きている。
僕たちは、今この瞬間も、選んでいる。
「適応するか、それとも変えるか」。
たとえ小さな選択でも、その積み重ねが、きっと社会を変える。
これが、僕のひそかな「変な人」宣言。