子供たちの発案で一足早く「父の日」ランチをご馳走になった。


妻の運転でレストランに行きマルゲリータ、BBQ、野生キノコなどのピザと、シュリンプパスタにアボカドサラダを4人で食べ、一番高給取りの長男が払ってくれた。


帰りぎわ立ち寄った本屋で、ヴィクトール・フランクル (1905-1977) の「Man’s Search for Meaning (邦題: 夜と霧) 」をタイトルにひかれ、最初の30ページだけ読んだ。


著者はオーストリアの精神学者・医師でホロコースト生存者。3年間にわたりアウシュヴィッツを始め、4カ所の収容所で過ごし、同時に収容所に送られた父母と新婚の妻を失った。


収容所の入り口でナチスの将校が、入ってくるユダヤ人たちを指の先だけ動かして、右か左へ誘導する。働ける者は強制労働、大多数はそのままガス室送りになった。


全員が裸にされ、髪も体毛も剃られ、夜は9人につき毛布が2枚支給されただけ。監視兵から「豚」とののしられ、理由もなく殴られたり、ムチ打たれる。支配する側の傲慢さ、迫害を受ける側の屈辱と怒りが伝わってくる。


収容所の中で「クリスマスに皆解放される」という風聞が流れた。が、何も起きなかった。失望して亡くなる人が続いた。


そんな中でも仲間たちを喜ばせようと収容所でタレントショーを開き、歌や踊りを披露した収容者たちがいたというから人間はすごい。


ホロコーストの体験を通して著者は「人は意味を求めて生きる」という。でも“意味”が小さすぎると大きな困難を越えていけない。どんな境遇や病気でも、それにどんな意味を見つけるかは自分しだいだ。


本屋からバス停に向かう途中、元気のいい若者たちとすれ違った。還暦を過ぎ、しょぼくれ気味の僕の「人生の意味」とは何だろう。


還暦とはスタートに戻る、ということだ。ブログのタイトルにつけたように「ここから始めよう」の精神で、ゼロから考えてみてもいいかもしれない。


Photo courtesy of The Marginalian


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