学生時代に呼んだ本に「モラトリアム人間の時代」(小此木啓吾著)がある。モラトリアムとは「猶予」の意味で、いつまでも仕事や結婚にコミットせず、大人社会に同化しない生き方だ。


本書のメッセージは「若者よ、ぐずぐずしないで、自我を確立せよ」だと思うが、僕はモラトリアム人生を選んだ。


大学卒業後、求人雑誌のパートを2年勤めた後、渡米し、新聞社で10年余り働き、リストラにあって、日本酒の輸入会社に転職して今に至る。アメリカに来てから就職も結婚もしたが、今も学生時代のモラトリアム気分が続いている。


今から思うと、僕が選択を迫られていたのは、「コミットメントかモラトリアムか」というよりも、むしろ「会社かスキルか」という選択肢だったのではないか。「リストラ」という言葉がなかった当時は、就職したら定年まで働くのが前提だった。


会社を選ばなかった僕は、最初は編集のスキルを、転職後はマーケティングや商品開発のスキルと経験を身につけた。


会社に人生を捧げたつもりはないので、今でもモラトリアム気分があるのだろう。逆に覚悟を決め、会社に就職していたとしたら、リストラのショックは大きかったと思う。会社を選ばなかったおかげで、他のスキル・経験に移っていくことができた。


作家オザン・ヴァロルは「人生の羅針盤は他人でなく、自分の価値観をベースにしないと使い物にならない」と言う。他人の羅針盤を気にかけなかった作家アイザック・アシモフは黙々と作品を書き続け、ニューヨーク・タイムズ紙ベストセラーリスト入りしたのは作家デビュー43年目、262冊目の本だったという。


セミリタイヤ後の人生設計をするにあたり、今一度、自分の価値観を再確認し、Who am I? (自分は何者か)をクリアにしたい。


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