(再録)小川原正道「評伝 岡部長職(明治に生きた最後の藩主)」(慶應義塾大学出版会・4180円) | 野球少年のひとりごと

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(再録・2022.2.4既出)

裏庭にバス道を隔てて立つ小学校であるが、コロナ感染で1月は3クラスで学級閉鎖が起きた。2月に入りそれぞれの学級閉鎖も解けて、いまはすべてのクラスで平常に授業が行われている。ときどき2階の窓から覗いて見るのだけれど、割としょっちゅう教室の窓は開放している。冷暖房装置がすべての教室に施されているが、おそらく暖房を効かせながら一方で部屋の空気の入れ替えも試みているようである。今日は金曜日で、下校時の子供たちは家で洗濯するために給食時の割烹着やキャップなどを持ち帰ることもあって、普段の日と比べると両手にいっぱい荷物を抱えている。わが家でも、土曜日は洗濯干し場に子供の割烹着やキャップが干されていて、何か家に料理人がいるみたいで可笑しい。

 

本の話である。幕末というより明治に活躍した、わたしの故郷岸和田の殿様の生涯を描いた、小川原正道「評伝 岡部長職(明治に生きた最後の藩主)」(慶應義塾大学出版会・3800円+税)のことを。岸和田藩は5万3000石であるからむしろ小さな藩であるが、紀州徳川藩を見張るという、普代大名の中でも重要な役割を果たしていたようである。もともとが徳川の親戚筋の岡崎の松平の出である。入封当初、松平氏の代に高直し(6万石)となったことに不満を持っていた泉南郡・日根郡の領民が強訴(寛永の強訴)を行った。これに対し、領民と対話して3千石を領民に分配し、一揆を未然に防いだ。また、岸和田城の改修、寺社の建立や復興を行い、名君と賞賛されている。(Wikipedia参照)寛永の強訴のときの108ヵ村の庄屋の代表であった、川崎久左衛門(沼村)はその責任を取らされて打ち首になった。その末裔とは旧居時代に一緒に沼町の役員を務めた。藩主岡部さんに話を戻すと、歴代には幕閣(幕府の最高行政機関)を務めた方がおられたりで、小藩ながら藩主には恵まれたようである。だんじり祭りの荒っぽいのところばかりで有名になった岸和田であるが、城下町らしい町並みや独特の気風(江戸時代から続く旧家も多く)はわたしのように他所へ引っ越ししたものにとっても懐かしいところがある。先年、東京の友人を岸和田祭に招いたときに関東でいえば鎌倉に感じが似ていると話してくれた。旧街道(紀州街道)沿いや、街の各所にお寺が多い(寺町もある)ことなどでそう感じたのかもしれない。他にも、漁師町(漁獲量は大阪でいちばん)など見るべきところが多い。余談であるが、高松宮が岸和田市に来られたときに市が、岸和田城を描いた父の絵を献上している。

 

小川原正道「評伝 岡部長職(明治を生きた最後の藩主)」 変わらないのは、だんじり祭とこの海の眺めばかり―。

 弱冠16歳で、和泉岸和田藩最後の藩主の座を去り、やがて新時代のエリートとして再生した岡部長職(おかべながとも 1854~1925)。 最後の殿様の波瀾に富んだ生涯と激動の時代を描いた本格的評伝!

 「評伝 岡部長職」目次

 プロローグ

  第一章 お世継ぎ誕生

  第二章 藩主として、知事として

  第三章 学問への旅立ち(慶応義塾、イエール大学)

  第四章 異国の地にて

  第五章 外交官として

  第六章 政治家時代

  第七章 華やかなる家庭

  第八章 最晩年と最期

 エピローグ

 

   

 

写真は、東山丘陵運動公園の遊歩道で撮影する。