(再録)東郷尚武「海江田信義の幕末維新」(文春新書・710円+税) | 野球少年のひとりごと

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(再録・2022.1.26既出)

朝から、交通事故で入院中のSさんから電話がある。Sさんの入院はTさん(いつも野菜をいただく)から年末に聞いていたが、状態が分からないこともありこちらからの連絡は控えていた(勿論、お見舞いも)。事故は、バイクに乗っていて横から突然飛び出してきた車と出会い頭にぶつかったらしく(事故の模様は、相手の車のレコーダーに記録されていた)、救急車で「りんくう総合医療センター」に運ばれたが、三日間意識不明の状態で集中治療室に入れられていたそうである。幸いに外傷はほとんどなかったようだが、両手の神経が切れていていまはそのリハビリ中らしく、最近になってやっと両手を使って食事は出来るくらいまで回復してきたらしい。春が来るまでには退院出来そうであるが、仕事(ガス設備会社を経営)に関して、自身が現場に出るようなことは難しい可能性がありどのようにして若い人を動かしてゆくかに掛っているようである。6人(高校生から幼児まで)の子供を育てている最中であり、事故直後は奥さんも途方に暮れていたようである。自身でも、意識が覚めたときにこれで人生は終わったとまで感じたようである。高校2年生の双子の男の子(ひとりは大学付属校に通っている)も進学を諦めて働こうかとまで考えたらしい。話が少し変わるが、地元の公立高校のアーチェリー部での活躍を聞いていた男の子は、年末の和歌山で開催の大会(実業団を混じえた)でも好成績を残したようで、年明けに慶應義塾大学からスポーツ推薦の話が舞い込んだらしい。それまでにもアーチェリー強豪の近大や関大からもスポーツ推薦の声が掛っていたようだが、それに加えて慶應である。本人はその気になっているようだが、両親とも(奥さんは近大を卒業している)が勉強が付いていけるか心配しているので、わたしがその点はまったく心配に及ばないことを話させて貰った。確かに、わたしの時代とは違っているにしろ3人の子供たち(関大と関学の両方に進学した)を見ていても、大学でろくすっぽ勉強をしたとはとても思えない。母校の野球部においても、4年間野球漬けであったとしてもそこそこ有名企業に就職出来ているわけだから、アーチェリーを一所懸命やり続けることが出来たら、ゼミなどの同級生がきっと助けてくれると思うとお話しさせていただいた。それにしろ羨ましい限りの話である。事故による入院は大変であったけれど、それに倍加するくらいいいことがある筈と激励した。当地に居を構えて3月から15年目に入るが、このように仲良くなった年少の友人(二回りも)が出来たことは幸甚である。

 

本の話である。引き続き幕末に関するもので、東郷尚武「海江田信義の幕末維新」(文春新書・710円+税)と半藤一利「幕末史」(新潮社・1800円+税)の2冊のことを。東郷尚武「海江田信義の幕末維新」は、帯に「『幕末風雲史そのもの』と評された男と、尊攘運動に命を賭けた、その一族の苛烈な生き方」とある。著者は、東京都庁に長く勤められた都市政策などが専門の工学博士であるが、一方、海江田信義の曾孫でもある。江戸城受け取りの責任者として知れる海江田信義をどのように描いているか興味がある。もう1冊の、半藤一利「幕末史」は歴史探偵・半藤一利が、幕末をどのように総括しているか楽しみである。

 

東郷尚武「海江田信義の幕末維新」 維新史の主役として、薩摩出身の海江田信義(有村俊齋)の名が語られることは少ないかもしれない。しかし水戸の藤田東湖と西郷隆盛を引き合わせたのも、西郷とともに僧月照を鹿児島に送ったのも海江田である。志を同じくする弟二人は、桜田門外の挙に参加、自刃している。寺田屋事件では鎮撫役を命じられ、生麦事件では負傷した英国人の止めをさしている。薩英戦争、戊辰の役を闘い、江戸城受け取りの責任者となる。まさに「海江田の事歴というのは、幕末風雲史そのものであった」(司馬遼太郎『花神』)。明治三十九年に天寿を完うするまでの「維新を駆け抜けた男」の生涯を描く。

 幕末の戦乱をくぐり抜け、江戸城受け取りので責任者となった海江田信義(有村俊齋)は著者の曾祖父にあたる。海江田は明治の高官として天寿を完うしたが、その弟二人は桜田門外の挙に参加、自刃している。これまた著者の先祖である日下部伊三次も小林良典も安政の大獄で捕まえられ、尋常な死に方をしていない。/「海江田信義はじめ先人である一族の人達が、私に乗り移って来て、『これも書け、あれも書いておけ』と言わんばかりに両肩に重くのしかかってきた。夜半に一人で執筆作業のはずが、ときとして一族の共同作業のように思われた。(「あとがき」より)

 

   

 

半藤一利「幕末史」 黒船来航から西郷の死まで激動の25年間を、平易な語り口で解説。30万部超えの大ベストセラー。

 嘉永六年(一八五三)六月、ペリー率いる米艦隊が浦賀沖に出現。役人たちは周章狼狽する。やがて京の都はテロに震えだし、坂本龍馬も非業の死を遂げる。将軍慶喜は朝敵となり、江戸城は開城、戊辰戦争が起こる。新政府が樹立され、下野した西郷隆盛は西南戦争で城山の地に没す──。波乱に満ち溢れた二十五年間と歴史を動かした様々な男たちを、著者独自の切り口で、語り尽くす。詳細な注釈付き。

(本文より)
いまも薩長史観によって、一八六八年の暴力革命を誰もが立派そうに「明治維新」といっています。けれども、明治初年ごろの詔勅、御聖文、太政官布告、御沙汰やお達しの類を眺めてみると、当時は維新などという言葉はまったくといっていいほど使われてはいないようなのです。革命で徳川家を倒したものの、民草は〈やがて薩長が衝突、諸藩がふたたび動き、天下をあげての大乱になるさ〉と思っていたのです。当時の狂歌はからかっています。上からは明治だなどといふけれど治まるめい(明)と下からは読む(はじめの章「御瓦解」と「御一新」)
(目次)
はじめの章 「御瓦解」と「御一新」
第一章 幕末のいちばん長い日
第二章 攘夷派・開国派・一橋派・紀伊派
第三章 和宮降嫁と公武合体論
第四章 テロに震撼する京の町
第五章 すさまじき権力闘争
第六章 皇国の御為に砕身尽力
第七章 将軍死す、天皇も死す
第八章 徳川慶喜、ついに朝敵となる
第九章 勝海舟と西郷隆盛
第十章 戊辰戦争の戦死者たち
第十一章 新政府の海図なしの船出
第十二章 国民皆兵と不平士族
第十三章 西郷どん、城山に死す
むすびの章 だれもいなくなった後
あとがき
参考文献
「幕末史」関連年表

 

   

 

写真は、東山丘陵運動公園の遊歩道で撮影する。