(再録)長谷川郁夫「本の背表紙」(河出書房新社・2400円+税) | 野球少年のひとりごと

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(再録・2022.1.19既出)

今日も一日、書斎で暮らしている。気になっているのは書斎の床にまで進出し始めている本のこと、おそらく500冊は越えていると思う。14帖の書斎であるが、5本の本箱(1本の本箱に500冊ほど収納できる)と新築時に大工に作らせた全集本専用棚にも500冊ほどあり、これらのすべてが未読のものである。(他にも未読のものを収納の本箱が、寝室やリビングにもある)4000冊くらいと考えていた未読のものが、どうやら5000冊に近づいているようである。これに毎年400冊が新たに加わる。すべてを読むことは早くに諦めているが(蔵書の中には既に興味のなくなったものもあるし)5年刻みで1000冊を読んだとしても蔵書が減ることはない。ただ、ときどき本の整理をすると思わぬものが目について読んでみようと思い、少しだけ寄り道(一応大きな計画のもと読み進めているので)し、寄り道がさらに別の方向に進ことになる。そういう中で興味を失う(購入したときの)ものも少なからず出てくる。それにしろ50年ほど(社会人になってから本格的に本を買い始めた)で1万数千冊を購うことが出来た(読了の1万冊ほどは裏庭に設えて専用の倉庫にある)のは、ある意味、何冊を読んだかよりわたしには大切なことであったと考える。尤も、本を買うことに一度の嫌な顔をしなかった、女房があってのことであるが。

 

その中から未読のもので、長谷川郁夫「本の背表紙」(河出書房新社・2400円+税)と「藝文往来」(平凡社・2200円+税)の2冊のことを。小沢書店という大変特徴のある書店を創業しそして潰した、長谷川郁夫が記した編集者・出版人としての30年間がテーマの「本の背表紙」と、帯に「本が紡いでくれた夢」とある本を巡る随想集「藝文往来」である。本が好きなわたしにとって、それこそ垂涎の長谷川郁夫の2冊(彼のどの著作にも言える)である。


「本の背表紙」 四季の移ろいに鮮やかに蘇る回想の作家たちと「幸福」の文学 季節は文学を宿す。 編集者・出版人としての30年間、文学が生まれる瞬間に立ち会い、親しくその息吹に接した今は亡き作家たち。四季の移ろいを丹念に辿り、忘れがたい言葉をいまに蘇らせる。回想と鎮魂の文藝ごよみ。
「これから記そうとするのは−失われた記憶。時の巡りのなかに置き去りにされた言葉を発掘する、あるいはたんに私一個の想念のなかで薄れてゆく言葉を思い起こす、そんな試みである。それを生前に肉声を聞くことのできた作家や詩人の著作に見出したい。…/何を契機とするか。さしあたり、移り行く四季の事象のあれこれに求めたい。アランの本に、四季とは太陽の周りを一回転する地球の旅の記録であるという、気の利いた一行があった。『神々はみな、季節の変わり目に現われる』とも。神々は一瞬のうちに消え去って、地上には『人間のしるし』が遺されるというのである」(「はじめに」より)

 

   

「藝文往来」 文学が生まれる時 本が紡いでくれた夢 本をめぐる気ままな随想が、いつしか文学者・藝術家をめぐる回想へと繋がっていった。つねに文学が生まれる現場に立会い、小沢書店とともに生きた30年の思い出を、「昨日の花束」として読者に捧げる初めての随想集。
★本書に登場する文学者・藝術家たち
 大岡信、大庭みな子、富士川英郎、野々上慶一、高橋英夫、秋山駿、遠山一行、水上勉、前登志夫、野見山暁治、窪田般彌、吉田健一、篠田一士、加納光於、小沼丹、中野孝次、田村隆一、中村稔、式場俊三、河上徹太郎、安岡章太郎、野呂邦暢、串田孫一、北村太郎、八木福次郎、堀口大學、清岡卓行、小川国夫、司修ほか。

 

   

 

写真は、東山丘陵で撮影する。