(再録)「椿」 | 野球少年のひとりごと

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本のことを中心に、関西学生野球や高校野球のことをつぶやいています。
また、父・洋画家「仲村一男」の作品を毎日紹介しています。

(再録・2013.8.24既出)

この作品は戦前の第12回「独立展」に出品されたものです。この当時、サインには父の特徴である自身の年齢ではなく、西暦年を使用しています。二科展に初入選後しばらくは二科会に属していたのですが、「1930年協会」の旗揚げ、さらに発展的解消をする形で発足した「独立美術協会」に、おそらく感じるところがあって「独立展」に出品し始めたようです。1942年ですから父が31歳の頃です。その後召集を受けて海軍に入隊、江田島の兵学校の通称アトリエ部隊で終戦まで過ごすことになります。それにしても「アトリエ部隊」などという名の部隊があった海軍の面白さ。わたしの海軍贔屓のルーツがこの辺にあるようです。作品寸法は803×652ミリ。


1930年協会=1926年、滞仏中に親交のあった前田寛治、里見勝蔵、木下孝則、小島善太郎、佐伯祐三が結成。外光派風の写実主義に反し、フォービズムの作風を基調とした。
独立美術協会=1930年、1930年協会の仲間である里見勝蔵、児島善三郎、林重義、林武、中山巍、鈴木亜夫ら9名が二科会を脱退し、春陽会の三岸好太郎、国画会の高畠達四郎、それに伊藤廉、福沢一郎、清水登之とともに既設の団体からの絶縁を宣言。新時代の美術の確立をうたい創立。(独立美術のHPより)

わが国の洋画公募団体としたら最もレベルの高い団体として定評がある。毎年秋に、上野の東京都立美術館で独立美術協会主催の「独立展」が開催される。戦後の具象美術全盛期には林 武、児島善三郎、高畠達四郎、鳥海青児、海老原喜之助、須田国太郎、野口弥太郎、小林和作など錚々たるメンバーを輩出した。父などはその次の世代にあたる。父も1956年に会員になり1982年に亡くなるまで審査員を務めた。

独立美術協会 http://www.dokuritsuten.com/


「洋画家 仲村一男」のホームページ
  http://www.nakamura-kazuo.jp/