山折哲雄「法然と親鸞」(中央公論新社・1800円+税) | 野球少年のひとりごと

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午後から、女房は娘の運転する車で岸和田まで出かけ、所属する女声合唱団の定期練習に参加する。私は用意してくれているお握りで手早く昼食を済ませ、庭(玄関側)に出て鳩が巣作りしている可能性のあるオリーブ(6㍍ほどの大木に育った)の、枝葉が密集しているあたりを中心に2時間ほどかけて刈り取る。脚立に乗り髙枝鋏を使っての作業なので家人のいないこともあり、安全第一で無理な作業は出来るだけ避けるようにした。刈り取った枝葉は小さく切り刻みゴミ袋に入れた。ちょうどゴミ袋1個ぶんに収まった。明日も天気がよさそうなので続きをするつもりである。

 

本の話である。法然にかかわる著作で、山折哲雄「法然と親鸞」(中央公論新社・1800円+税)と倉田百三「法然と親鸞(『一枚起請文』『歎異抄』を語る)」(大東出版社・2300円+税)のことを。

 

山折哲雄「法然と親鸞」 師弟の関係は相承か、相克か。求法のために比叡山にのぼり、やがて市中に降りた法然と親鸞 邂逅後、四十歳の年齢差を超えてともに茨の道を歩みはじめるが、宗教家の道は大きく分かれる。

 法然の人生、八十年 親鸞の生涯、九十年 法然よ、いずこにいます。親鸞よ、いずこに去りたもう。(本文より)

 

   

 

倉田百三「法然と親鸞(『一枚起請文』『歎異抄』を語る)」 「念仏申されるように生きる」 日々生の苦しみと悲しみに喘ぐ大衆に、自らも苦悶の内にありながら、その克服の途を見事に示した法然上人と親鸞聖人。その教えが凝縮された「一枚起請文」と「歎異抄」を、宗教文学の雄・倉田百三が読み解く。
 「一枚起請文」と「歎異抄」とは、人間のたましいの中に灯をともすような書きものだ。深い深いたましいの海の底に錘をおろすような文章だ。これを読むと我々はいつの間にか、仏智の不思議と、見えない手とが人間の生活を支えているのを感じるようになる。(「著者の言葉」より)

 

  

 

フランスで描いた水彩によるスケッチから

「洋画家 仲村一男」のホームページ

 http://www.nakamura-kazuo.jp/