午後から、女房は娘の運転する車で岸和田まで出かけ、所属する女声合唱団の定期練習に参加する。私は、いつものように恵俊彰がMCをつとめるTBS「ひるおび」を見ながら、用意してくれているお握りを食す。その後に、2階の書斎(14帖)を含む3つの洋室(8帖、6帖)のモップかけをする。綺麗になったところで、昨日から読み始めた谷沢永一「老年の智恵 人生の英知」(海流社・1100円+税)に取りかかる。そうこうするうちにアマゾンから荷物があって開封すると、山折哲雄「法然と親鸞」(中央公論新社・1800円+税)、古田武彦「親鸞」(清水書院・1000円+税)、雑誌『サライ 3月号 「ジャパニーズ・ウイスキー」新時代』(小学館・950円)が現われる。
山折哲雄「法然と親鸞」 師弟の関係は相承か、相克か。求法のために比叡山にのぼり、やがて市中に降りた法然と親鸞 邂逅後、四十歳の年齢差を超えてともに茨の道を歩みはじめるが、宗教家の道は大きく分かれる
法然の人生、八十年 親鸞の生涯、九十年 法然よ、いずこにいます。親鸞よ、いずこに去りたもう。(本文より)
古田武彦「親鸞」 承元元年、大弾圧はくだった。親鸞は、師の法然とともに、流罪人とされた。親鸞の心に、もっとも深い怒りを刻みつけたのは、同志、住連・安楽の死刑だ。よこしまな腹立ちから、かれらを御所の庭にひきすえた後鳥羽上皇。その面前で、安楽は、不法の弾圧者は必ず滅びると、断言したという。親鸞は、流罪中、この権力者の行為に、はげしく抗議した。「主上・臣下、法にそむき、義にたたかう」と、かれは、90歳の死にいたるまで、この思想的節操を変えることがなかったのである。/だから、親鸞の生涯をひと言でいえば、「生き残り、生き抜いた住連・安楽」としての一生だった。/その住連・安楽の墓は、いま、京都東山の法然院の隣に、ささやかに、存在している。
雑誌『サライ 3月号 「ジャパニーズ・ウイスキー」新時代』
「イタリア」で描いた水彩によるスケッチから
「洋画家 仲村一男」のホームページ
http://www.nakamura-kazuo.jp/