午後から、近所(徒歩3分)の歯医者まで出かける。氷を噛んでいて欠けた奥歯に、今日は麻酔をし神経を抜きその後で削るなどの治療が施された。この間20分ほどで、「痛みを感じたら左手を挙げて」といつものように告げられるが、痛みはまったく感じない。人と比べて我慢強いというよりは、痛みに対する感覚が少し鈍いかもしれない。この辺り父と似ていて、盲腸の痛みを我慢し続け腹膜炎にまで及び、危うく命を失うところだった父のことを思い出した。ちょうど私が中学3年の頃で、父にもしものことがあったら高校進学を断念し働かなければならないな、と一人で思い悩んでいた。晴れて高校の入学式には入院開けの父が和服姿で出席してくれたが、まわりの父兄は奇妙な風景として眺めていただろうと思う。その父も71歳で亡くなって昨秋で41年が経った。50回忌を夫婦兄弟(もちろん子供や孫)のひとりも欠けることがなく、心身とも矍鑠として迎えることが出来ればと思う。
本の話である。今日もアマゾンから荷物があって開封すると、谷川健一「独学のすすめ(時代を超えた巨人たち)」(晶文社・2300円+税)と前田速夫「谷川健一と谷川雁(精神の空洞化に抗して)」(富山房インターナショナル・2800円+税)が現われる。谷川健一の著作を読むのはたいへん久し振りのことである。タイトルの「独学のすすめ」に惹かれたところがある。もう1冊の、前田速夫「谷川健一と谷川雁(精神の空洞化に抗して)」は、その谷川健一と弟の谷川雁のことを論じたものであるが、私などは独特の詩人であり思想家、活動家であった雁のほうが馴染みがある。上野英信、森崎和江、谷川雁、さらには井上光晴などの著作をよく読み影響された時代がある。谷川雁についてどのように論じているのか興味がある。
谷川健一「独学のすすめ(時代を超えた巨人たち)」 「自分」で始める 南方熊楠 柳田国男 折口信夫 吉田東伍 中村十作 笹森儀介 「自分から」始まる
南方熊楠。柳田国男。折口信夫。吉田東伍。中村十作。笹森儀介。
明治から昭和にかけて、既成の知識に縛られず、自分で自分の道を切り拓いた巨人たち。彼らは何よりも「お仕着せ」を嫌い、誇りをもって独りで学び、独自に行動した。強烈な光を放つこの6つの個性は、いかにして生まれたのか。在野の民俗学の第一人者が、彼らのライフストーリーを通しておおらかに語る「独学のすすめ」。/「与えられた 既成の価値には目もくれず、新しい明日の世紀を開くために『自分で自分を作る』道を歩こうとする人びとに、この本は捧げられます」(「あとがき」より)
学問を始めるのはいつでもかまわない。二十歳でも六十歳でも七十歳でも、年齢は関係ない。才能があるかないか、そんなことを気にする必要もまったくない。人には得手があるし、不得手がある。だからそんなことも関係ない。/山の頂をきわめるのには、どこから登ってもかまわない。決められた登山口があるというわけではない。自分の得意なところから登ればよい。ただ必要なのは、たえまなくやることである。それさえあれば、いつかは山の頂をきわめることができる……(本文より)
前田速夫「谷川健一と谷川雁(精神の空洞化に抗して)」 負の前衛として 民俗学者、歌人、地名研のリーダーの兄・健一。詩人、変革者、思想家の弟・雁。お仕着せの民主主義に抗して少数派の道を歩んだふたりは、何を思い、何と格闘したのか。最後の戦中派がたどった戦後七十年の軌跡。
「いったい、、私たちのこれまでの戦後の歩みは何だったのか。そこでの課題はどう決着がつき、何が未解決のまま残されているのか。はたまた今日招き寄せてしまった衰弱と空洞化から脱するには、どうすればいいのか。…思えば、戦後一貫してこうした問題と取り組んできたのが、谷川健一と谷川雁ではなかったか。」(「序」より)
「フランス」で描いた色鉛筆と水彩によるスケッチから
「洋画家 仲村一男」のホームページ
http://www.nakamura-kazuo.jp/


