みなさまこんばんは! (・∀・)

いつも御覧いただいてありがとう!

たのしいコメントをいつも、ほんとうにありがとう!!


きょうは、着たくない服を着ました。

着たくない、着たくない。できたら生涯

着たくない。そんな風に思いつつ、着るのは久しぶりなので

服についていた、糸くずやらなにやらのピラピラしたものを

ガムテでペタペタ取りながら、そしてアイロンかけながら

着ることになってしまった、

喪服を着ました。


着たくなかった。


私がデビューしてからずっと所属している会社、アミューズの

創立とともにたずさわっている女性の葬儀でした。


ずっとずっと、ずーっと前から、というか

アミューズが生まれた当初からアミューズにいらした方。

ふしぎなことにお会いするたびにビジュアルが変わらない。

いつも同じ笑顔。いつも同じ髪型。いつも同じ、上下黒い服。


はじめてお会いしてから20年以上たつのに

見事にまっっったく変わらない、外見。


私はよく冗談で言っていました。

実は魔女なんじゃないかと。

年をとらなさすぎるから。

上下いつも黒だし。


そんな風に言っていた、

ずーっと変わらないままだった

私の中の、自称かわいい魔女が


とつぜん、天国へ行ってしまいました。


くも膜下出血でした。急に倒れて、そのまま。


まだ58歳です。定年まであと少し。

ずっとアミューズでお仕事されて、もうすぐ定年で

これから、ご自身だけの時間を謳歌されるはずだったのに。


いつもお会いするたびに、きまって「あら、佳恵」と声をかけてくれた。


きょう、ご葬儀でお顔を見た。

いつも好んで、真っ黒なお洋服を着ていたのに

真っ白なお花にかこまれて、真っ白なお顔で

キレイに横たわっていて。


かわいい魔女なんですから

魔法、使ってくださいよ。

ここで使わないでどうするの。

いっつも言ってくれる「あら、佳恵」。


顔を合わせているのに

「あら、佳恵」って

言ってくれないことに

涙が止まりませんでした。


先週の金曜日まで、いつも通りに出社され

会社の方と飲みにも行き、土曜日、

とつぜん天国へ。


参列していた、元マネージャーさんとも会うことができました。

「こんなことになるなんて、もっと話をしておけばよかった」

元マネージャーさんは顔を真っ赤にして、泣いていた。


いつでも会えるから。

いつでも話せるから。


でも、もうできない。


私が、最後にお会いしたのはいつだっただろう。

いつものように「あら、佳恵」と声をかけていただいて

いつものように、たあいのないおしゃべりをして

「じゃあ、また」と

ごあいさつをした。


「じゃあ、また」とは


「もしかしたら、これでもう2度と会えなくなるかもしれないけれど

 もしも会えたら、また会おうね。」


の、略なんだなと思った。


今回の九州での災害で

着たくなかった服を着ることになってしまった方も

大勢、いらっしゃることかと思います。


会えなくなってしまった悲しみは深い。

それはおそらく、ずっとずっと深い。


「じゃあ、また」が、もしかしたら

最後の言葉になってしまうかもしれないということを忘れずに

今このときを、今目の前にいるひとを、切実に大切にしないといけない。


いままで、ほんとうにありがとう、三本木さん。


どうか天国まで心休まる旅路でありますように。


でね。。。

こんなタイミングではあるんだけれど。

数週間前(って、ずいぶんたつね!)から

パンジーからもらっていた、メールを読んだ。


悲しくて、涙が出たことがあった。そのことを書いたから読んで。だって。


けどさーーー


悲しいことがあったってこと、

わかっているから、読めないじゃない。


けど、私は今夜、めっちゃ悲しい気分。だから読めた。

そして泣いた。また泣いた。

泣いたついでといってはなんですが


ここに、パンジーからのメール全文、コピペします。

よかったら読んでください。


みんな。

生きていることを

大好きな人を

いまこの時を

大切にしよう!


以下、パンジーより!!!


3月はお別れの季節。
僕もお友達が海外に赴任してお別れをしました。
そして今年は一つ大きなさようならがありました。
空良が通っていた保育園が地区の再開発により3月で無くなることになり、
先日歴代の卒園生やその保護者、今現在通っている園児、保護者、
先生による大運動会が行われました。

可愛らしい小さい園庭に
大きくなったお兄ちゃんやお姉ちゃん達が大勢集まって懐かしい顔ばかり。
保護者の方々と会うのもとても久しぶり。
空良が卒園して7年。でもみんなの顔を見るとここに通っていたのがそんなに昔に感じない。
空良が園庭で一生懸命三輪車を漕いでいたことがつい先日のように思えてくる。

ふと受付に目をやるととっても久しぶりに会う親子の姿が。
「あっ、リンちゃんだ」
リンちゃんは空良の4、5歳くらい下で
いつもお父さんの自転車の後ろで
おもちゃの新幹線を大事そうに持って登園するとっても可愛い男の子。
空良が卒園した後もたまに登園する姿や
日曜日に公園で自転車の後ろに乗っているリンちゃんを見かけては声をかけていた。

僕は嬉しくなり駆け寄り「リンちゃん!まだ新幹線は好きかい?」
そう聞いたのはリンちゃんが新幹線を持っていなかったから。

もうお兄ちゃんになったし新幹線は持たないか、、。もう好きじゃないかもしれないしな。

リンちゃんからは何の返事もなく、お父さんの反応もなんか鈍い。

あれ?あんなに新幹線が好きだったのに
リンちゃんもお父さんもそんなこと忘れちゃったかな?
やはり7年は長いなあ。
すると隣にいたお母さんが僕に優しく「リンは亡くなったんです」

僕がリンちゃんと思って話しかけていた子は小さい時のリンちゃんにそっくりな弟くんだった。

よく考えてみれば空良の4、5歳下。もう少しお兄ちゃんなはず。
僕の中のリンちゃんがその時代で止まっていた。

僕はごめんなさい。そう言って涙を流した。

あの可愛い子がもういない。
がんと闘ったけど小学4年生で亡くなったそうだ。
新幹線で天国に旅たったリンちゃん。それを見送ったお父さんお母さんの想像を絶する悲しみ。
僕の浅はかな行動でお父さんお母さんに再び悲しい思いをさせてしまい本当にごめんなさい。

リンちゃんの笑顔がずっと僕の心にある。運動会の最中も、今も。
僕は笑いながらかくれんぼをしている空良と美良生を見て僕は本当に幸せ者だと心底思った。
子供達が生きている。健康で生きている。それだけで本当に幸せだ。

空良くん  ママによく怒られているね。いいんだよ。お弁当箱よく忘れるね。いいんだよ。
美良生くん ダウン症。 いいんだよ。
二人ともそのままでいいんだよ。生きていてくれればいいんだよ。
二人ともありがとう。
ママもきっと同じ思いだよ。 数日はね。