みなさま こんにちワァ!(・∀・)ノ

きょうも御観覧とたのしいコメントをほんとうにありがとう!!


きょうも朝から、ウチはにぎやか。
想像ガンダムで見えない敵とたたかう空良に
「ミライさん!(←いつのまにか私、ミライさん)
 カイさんのおうえんをよんでください!」といきなり頼まれたので

「ガンタンク、出動ねがいます!」ミライさんらしくその声にこたえたら

二階からパンジーが大声で「ちがう!カイさんはガンキャノンだ!」と訂正してくる。


平和だ・・・。

きょうも平和な日曜日だ。


そんな平和な我が家ですが、
きょうはパンジーから、

「みなさまにお伝えしたい」というメッセージを預かっています。

昨日の夜、いっしょうけんめい書いていたよ。
ちょっと長いけれど、読んであげてね。

以下、パンジーより。



パンジーのちょっと長いですよ。コラム 

前編 『経験すべきでないこと』


僕は二つ上の兄と二人兄弟。

兄6歳、僕4歳の時。母は家を出て行きました。
その日の朝、母が泣いていた事を今でも鮮明に覚えています。

その後数年間、親権を巡り裁判が行われ
父と暮らしたり母と暮らしたり、新しく母になる人と暮らしたり、、、
その間僕ら兄弟に大人がしたのは
物で誘惑したり
『お父さんとお母さん、どっちが好き?』
と無神経な質問を繰り返すことでした。 

最終的に僕らは父に引き取られ、以後母に会う事はありませんでした。
兄9歳、僕7歳。
この頃僕がよく見た夢は
転んだ僕を振り向くことなく先に歩いて見えなくなってしまう母の夢でした。

ある日学校から帰ると違う女性がいて
父から「新しいお母さん」と紹介されました。
僕はその方と早くなじもうと努力しましたが、兄はなじめず
よくもめていたのを覚えています。

この女性は僕達のため?父のため?とても良くしてくれました。
してくれましたが、僕らに対して言葉による暴力をふるう事がありました。

僕は「僕がこの人の怒りを受け止めればこの人は家にいてくれる」と思い
産んでくれた母への罵倒、祖父母、父への罵倒を正座して聞いていました。

そんな少年期を送った兄と僕。
兄は高校を卒業したと同時に
家を出て以来家には一度も戻ってきませんでした。

その後兄はお酒に溺れ、依存症になり
兄26歳の時に結核で命を落としかけてしまったんです。
今、結核は治せる病気ですが兄は吐血しても病院に行かず
結果5年に及ぶ入院、療養、後遺症によって
一人での生活が困難になってしまいました。
なぜそこまで自分を粗末にする人になってしまったのか、、、、。

それは、

大人の勝手で粗末にされた子供だったからなんです。





後編につづく。