長崎市の出版社・長崎文献社から、本「カズオ・イシグロ

を求めて」が送られてきた。

 

 

7名の著者の一人が、息子だった。

カズオ・イシグロについて書いたのではなく、カズオ氏の

父親・石黒鎭雄について書いていた。

 

石黒鎭雄氏とは、不思議なご縁としか言いようのない、ご

縁があった。

 

その昔、私の父は陸軍気象部に所属していた。

その頃、石黒氏と出会い、親しくお付き合いしていたよう

だった。

高円寺の陸軍官舎に住んでいたころ、よく来られていたと

言う。

特に私は、「S子ちゃん、S子ちゃん」呼ばれて、よく遊ん

でもらったそうだが、残念なことに何も覚えていない。

 

しかし、何かにつけて母は「石黒さんは手が器用で、骨の

折れたこうもり傘を、缶詰の缶を切って直してくれた。あ

んなにうれしかったことはなかった」と一生感謝していた。

 

父は、石黒氏が渡英してからも、ずうっと文通を続けていた。

海洋学者だったフィリップ殿下は海洋研究所まで、ヘリコプ

ターを操縦してこられるとか。

日本の様子を知らせると、こんな反応があったとか話してく

れて、「石黒、石黒」と言って、手紙を楽しみにいていた。

 

その頃小学生の息子に「もし、海洋の勉強するようになり、

イギリスに行くことがあれば、石黒さんを訪問しなさい。

自分の孫だと言えば、きっとよくしてくれるだろう」と、何

度も言っていたと言う。

 

息子は、学会でエディンバラに行くことがあった。

「おじいちゃんの言葉を思い出して、イギリスの学者に聞い

てみた。すでに亡くなっておられたけど、知っている方が多

くて、奥様の住所まで教えてもらった」と興奮して帰国した。

 

帰国後、仕事の合間に色々調べて、彼の功績を埋もれさせて

はいけないと海洋誌に発表した。

その段階で「石黒鎭雄氏は、カズオ・イシグロの父親と分か

った」という息子の話には、びっくり仰天!

息子は「彼は絶対、ノーベル賞をもらう」と言った。

本当に受賞した時、わが家は大騒動だった。

 

孫たちとは、じっくり話す機会は少ないが、私や弟より父か

らのバトンをしっかり受け取った息子(父から言うと孫)が

いたのが、うれしい。

 

1冊を、お仏壇の父に供えてもらった。