髙田千鶴子さんの写真と、亡きご主人様・髙田誠實氏の

日本画「二人展」を知った。

 

 

千鶴子さんはかつて「豊橋・生と死を考える会」で、ご一緒

していた。

イベントがあるたびに、写真を写してくださり、その記録は

見事なものだった。

 

いつだったか、お食事とかおやつの写真が、実物以上に美味

しそうに見えて、とてもうれしかったのを思い出す。

 

会場の入り口にあったブータンの3部作!

盛装してお祭りを楽しむ人々、衣装を着けて踊る人、大きな

仏画を掲げる人たち、澄んだ空気感や熱気まで伝わり、写真

のなかの一人になったように感じた。

 

千鶴子さんによると、首都から何時間も車に揺られてたどり

ついた村だったと言う。

お嬢さんとの繋がりからできた人脈で、このお祭りに参加で

きたと言う。

踊る人は、お祭り当日では人出が多くて、とても写真は撮れ

ないから、前日のリハーサルで写したそうだ。

 

この3部作は、賞をもらっている。(聞き逃してしまった)

その他の写真も、数々受賞している。

 

どの写真も大きく引き伸ばされているのに、ピタッと決まっ

ている。

きっと、高い技術をお持ちなのだろう!

 

これまでの写真が、テーマごとにアルバムになっていた。

 

髙田誠實氏の日本画は、なにかを意味して、訴えているよ

うなのだが難解だった。

千鶴子さんによると、彼は脳神経外科医になりたかったと

いう。

長男であること、家業を継がねばならない事などから、そ

の道をあきらめたと言う。

 

その話を聴いて、理解できたように思った。

この絵たちは、神経、細胞など人間を作っているものを、

絵にしているに違いないと勝手に理解した。

電子顕微鏡で観察したような細かく、うごめいている何者

かを絵にしているのでは?

細い面相筆の先を使って描いているように感じた。

 

千鶴子さんの写真で、どうしても聴いてみたい写真があり

翌日も出掛けた。

 

「中田島砂丘」の1品。(最初の絵葉書の右側)

浜に置かれたヨシズ越しの、光と影ではないか?

でもどうして、この美しい色なんだろう?

 

<千鶴子さんの話>

この写真を撮った時は、このような色ではなかった。

現像してみて、その色に驚いたと言う。

この写真は加工したように見られたくなくて、公にしなか

ったとそうだ。

ある時、科学に詳しい人が、そのように映る瞬間がある事

を、説明してくださった。

砂浜のちょっとした窪み、小石などが良い表情を出してい

ると言われた。

絵葉書の誠實氏の日本画は、2人のお嬢さんと共に決めた

そうだ。

 

 

誠實氏が、39歳でお亡くなりになった時、お嬢さんたちは

小学生だった。

写真や絵画の並びは、3人で話し合いを重ねたうえで、決め

ましたと千鶴子さん!

思わず「4人展ですね」と、声が出た。

 

2度目は、アルバムをじっくり見せてもらった。

しばらくぶりにお会いした千鶴子さんは、輝いていた。