山崎氏は、今年75歳になられる。

聖ヨハネホスピス、ホスピスケア研究所を経て、2005年に

ケアタウン小平クリニックでの在宅医療を開始し、訪問診

療に従事していた。

 

山崎氏がステージⅣのがんになって、がん医療の問題点を

実感し、ご自身を実験台として、ゴールが見えたがん患者

にも、緩和ケアだけではないもう1つの療法の提言を始めた。

 

週刊新潮6月30日号

 

通販生活・盛夏号

 

ラジオ深夜便7月7日(木)の、最後「明日へのことば」

        ~病院で死なないということ~

つまり、8日(金)の、早朝4時。

この番組は「らじる☆らじる」の「聞き逃し」で、まだ1週

間聴くことができる。

 

私は、2000年山崎氏がリーダーだった「ニュージーランド

ホスピス研修旅行」に、参加した。

ほとんどが医療者の中で、普通の主婦は3人だけだった。

ニュージーランドのホスピスで研修を受けた成果は、人間

が生きると言う事を、根本から考えた事だと思う。

 

参加した医療者たちが、毎晩、話し合いをするのを聴いて

いると、私は素人なのに緩和ケアが少し理解できたのと、

同時に、全国には真剣に終末期医療を考えている医療者が

いることが、うれしかったのを思い出す。

 

 

2000年から、「豊橋・生と死を考える会」は、山崎氏の講演会

     を企画した。(詳細が残っていない)

2003年 千住真理子さん+山崎章郎先生

      バイオリン演奏+講演(ホスピスケアからコミュニティ

      ケアへ)+対談

      (この時は、豊橋市公会堂が満席で、スタッフは立って

     いた。

     千住さんは、大切なバイオリンを膝に置き、音楽の話は

     せず、お父様の最期を語られた)

2013年  山崎先生講演会「在宅ホスピスケア~見えてきた課題と

     可能性」

     (山崎先生が所長の聖ヨハネ桜町ホスピスは、日本1のホ

     スピスと言われていたが、患者さんの本音は家から旅立

     ちたかった。

     ホスピスは、がんとエイズ患者しか受け入れられない。

     そんな思いを聞いて、在宅クリニックを始めたといわ

     れた)

2017年  山崎先生+河辺貴子さん(聖ヨハネ桜町ホスピスで

     ご主人様を看取った方)+中川稔進さん(ケアタウ

     ン小平職員)

     「住み慣れた街で最期まで生きて逝く」~ケアタウン

      小平の取り組み~

     (どこでどういう風に旅立って逝きたいのか?

      元気な時にこそ、考えておくべきだと深く考え

      た3人の講演会だった)

 

 

山崎氏は、手術でがんを摘出し(ステージⅢ)、抗がん剤

治療をした。

抗がん剤治療の副作用は、大変なものだったようだ。

にもかかわらず、転移してステージⅣになってしまった。

 

そこで山崎氏は考えた。

ゴールが見えてしまったがん患者が、がんと共存していく

方法を!

いろんなことを試して、現在「がん共存療法」にたどり着

いたと言い、体を張って試しておられる。

 

私は最初、山崎氏はご自分が直面した現実に、失礼にも判

断がぐらついたのではないかと思った。

 

しかし、週刊新潮、通販生活を読み、明日への言葉を聴い

て、少しずつ分かってきたような気がする。

 

ケアタウン小平に勤務する友達から、山崎氏の署名入りの

本が送られてきた。

 

【抗がん剤治療、一択でいいんだろうか。】

 

これは、気になる!!!

 

「豊橋・生と死を考える会」の田中代表は、来年山崎氏の

講演会を企画し、連絡を取り始めている。

 

日時が決まれば、ブログでお知らせしたいと思っている。

 

 

今日の「魔法の花瓶」

ヒマワリ、カーネーション、千日紅、コアラファン

 

 

アキエちゃんの「魔法の花瓶」

バラ、蘭、かすみ草