[再掲] 渡辺晴夫先生から学ぶもの 2 | 島根県庁バレー部(Pref Shimane)からのお知らせ

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【第85号発刊にあたって】
第85号は、前号に続いて「渡辺晴夫先生から学ぶもの」と題して、上代裕一氏(島根県バスケットボール協会副理事長)に続編として執筆いただきました。
松江工高バスケットボール部を4回日本一に導かれた名監督の珠玉の言葉をお届けします。

 

【上代裕一氏プロフィール】
昭和32年旧飯石郡三刀屋町生まれ
昭和51年3月島根県立三刀屋高等学校卒業
昭和55年3月島根大学教育学部卒業
昭和55年4月松江市立古江中学校勤務、以後
布部中、古江中、島根大学附属中、松
江二中、松江教育事務所、松江四中
平成21年4月から島根県教育庁義務教育課勤務

 

【競技実績】
島根県高校総体・中国選手権大会3位
少年男子国体選抜チーム
中国大学選手権大会 優勝
西日本大学選手権大会 ベスト16
成年男子国体選抜チームで8回国体出場
優勝・3位・ベスト8

 

【指導実績】
古江中・島根大学附属中 中国大会出場
県大会優勝・3位
松江二中 全国大会ベスト16
中国大会優勝・3位
県大会優勝・3位
県Jr選抜チーム アシスタントコーチコーチ他
「渡辺晴夫先生から学ぶもの」Ⅱ
島根県バスケットボール協会副理事長

 

上 代 裕 一
前回は、渡辺晴夫塾「指導者編」の一部について、ご紹介いたしました。今回もその続編として寄稿させていただきます。

 

1 はじめに  

 

前号で、“見る目・知恵・ファイト”、について触れましたが、渡辺先生の指導される姿を見ていて感じる一面をまずお話しします。「見る目」・・・私は第3者が試合している時にコートの外からゲームを観ていらっしゃる渡辺先生の視線の先を追ったことが何回かあります。その後に、そのゲームについてのご感想を伺うと、私が予想するそれとは随分違っていたことがあります。先生の顔の向きだけではなく、その視線がフォーカス(焦点化)しているところが違っていたわけです。他の競技のコーチの皆さんも当然身に付けようとされている能力だと思いますが、渡辺先生は目の前のプレイをプレーバックして、課題の根源を指摘する能力は傑出していると感じています。
「知 恵」・・・他の競技ではわかりませんが、バスケットボールには、「クローズドスキル(閉じた技能)」と「オープンスキル(開かれた能力)」の育成が指導すべき両輪として重要です。2つの中でも特に後者を先生は重要視されます。したがって、全習法的な練習の内容が多く入っています。「この練習が試合のどの場面か、選手がわかって練習していなければ意味がない。」ということを毎回指摘されます。全習法的な練習で見つけた課題は、すぐに適切な分習法的な練習に切り替えていかれ、その後再びもとの全習法的な練習に戻っていきます。非常に効率がよく、選手もわかりやすく、課題もはっきりしています。日本のスポーツ指導の歴史と比較しながら、いつも感じることですが、昭和30年代からこのような効率的な練習がなされていたことに驚きを隠せません。
「ファイト」・・・先生は「コーチは、時としてわがままであり、あつかましくあることも大切。」また、「自分はこういうチームを創りましたと、全国でアピールしなさい。」と説かれます。渡辺晴夫塾で4時間近くの練習過程の中で、夜の5時間近くの会話の中で、見せていただいている姿勢には、闘志が湧き出ています。まるで、松江工業高校の選手を今年も全国制覇に結びつけようとする指導の姿がでている様相です。我々若い指導者に自らの後ろ姿で説いていただいています。
 
 
 

2 「指導者編」より(続編) 
 
 

(1)「素材を生む」  

 

現在のチームは、チームの色、魅力がない。コーチが自分のことを選手にやらせている。選手のことを踏まえて指導すべき。対象(選手)によってチームをつくること。個人スポーツにおいては、当たり前に行われていることであり、他の集団スポーツでも行われていると思います。このことは特に、バスケットボールにおいては相対的に感じているところですので、前置きをしておきます。

 

前号で述べた(1)「感謝」(2)「先に教えるな」の中でも類似した内容が載っていますが、要は、教える
対象の選手の特性に応じて指導をしなくてはいけないと教えていただいています。しかし、指導者が選手に教える指導内容が、指導者自身が選手時代に経験した指導内容だけだったり、経験はなくともある指導バイブルに載っている指導内容だけ、であったりする傾向が伺えると語られます。
選手の特性とは、性格・気質・体格・視野・運動能力などです。特にスポーツ少年団活動での選手起用は、十分配慮しなければ、中学校以降においてバーンアウトにつながってしまうということであり、小・中・高においてはチームが、コーチの枠にはめられ、柔軟性のない、選手のもっている素材を台無しにするものになってしまう可能性があることを危惧されています。

 


(2)「ゲームは人生と同じ」  

 

ゲームでは過去・現在・未来が同時に起こる。ゲームでは今やるべきことは何かが大切である。そして、s選手は1~2秒先の未来に何が起こるかを考え、ベンチはもっと数秒先を観ること。
「過去の失敗や成功の体験が現在のプレーを創り上げている、未来にこんなことをしようとする前に過去の経験を十分生かせ。」とよく語られます。そして、いざゲームとなると、現在やるべきことが何かを大切にすることが重要であり、さらに、次の瞬間に何が起こるかを予測することが重要であると語られます。特にコーチは、ゲーム中の過去の失敗にいつまでも後悔する傾向がありますが、1~2 秒先の未来に何をしなくてはいけないかに、考えを素早くシフトしていくことが大切だと教えていただいています。

 

 

  (3)「高校は育てるところ」
 
 

高校はまだ選手を育てるところ、大学のように、入学してきたものをすぐに抜擢するようなところではない。「中学校でも、小学校から入学してきた選手をすぐに抜擢するところがある。」さらに、「高校でも、中学校から入学してきた選手をすぐに抜擢しているチームを見かける。」と言われます。
「大学は高校の優秀な選手をスカウティングして1年生から抜擢するのはわかるが、高校はまだ選手を育てるところ。」、1 年生から抜擢するということは、それまで自身が育ててきた選手、自身の指導自体を否定することにもなりかねないと厳しいご指摘をいただきます。

 
(4)「その瞬間に短い指示」
 


そのプレーの瞬間に指示をすることが大切。長く話してもだめ。「ことばの表現を磨け」武蔵高校の畑先生がよく言っていた。指導者のことばの表現は大切だ。難しいことば使わんでも、「ピシッと」「ガンと」などスポーツによっては、ベンチ(コーチ席)からコーチが無闇に指示を出せない場合もあると思いますが、ゲーム中の選手が繰り出す一つ一つのプレイの、瞬間に指示を出すことの重要性を教えていただいています。それは練習中でも同様です。ただ、その指示は短く、わかりやすいことが求められ、時間が経ってからの、しかも長い話は効果がないと指摘されます。渡辺先生は、松江工業高校監督時代に、東京の武蔵高校バスケットボール部監督の畑先生のお話を引き合いに出されます。「畑先生は、指導者の発する指示のことばの表現の重要性について説かれていた。」と伺っています。そして、「畑先生のことばは、長くなく、難しいことばは使わないで、わかりやすい指示だった。」と語ってくださいました。これを、バスケットボールで例えると、攻め(オフェンス)が終わった瞬間から守り(ディフェンス)に移るのですが、その時の指示が「スプリントバック(ハーリーバック)」というところを、「腕を振れ!」という具合に、短く具体的であり、わかりやすのだと感じています。 

 (5)「練習を見る指導者の視点」
 
 

何のためにこの練習をしているのか、この練習をさせる意味を指導者が分かっているか「当たり前のことをもう一度考える」本当にやっている、やらせていることが正しいか。もう一度考えてみろ基本動作のためのウォーミングアップやフットワークドリル等、いつもながら練習の流れに沿っている練習メニューが、本当にこれでいいのか、見直す必要があると指摘されます。
全習法的な考え方に立つと、チームの課題に応じて、練習メニューが組まれるとすると、そのメニューの目的は何であって、頻度や負荷は適切であるかを見直す必要があり、当然、指導者は、目的を十分理解した上で、課題に応じた練習がこなされなければならないと強調されます。ともすれば、他チームがやっていたから取り入れた練習メニューや、指導者自身の選手時代に経験した練習メニューが取り入れられている様子が伺え、自チームの本当に求めている練習であるのかを、今一度検討する必要があると説かれます。 

 (6)「コーチはストーカーになれ」
 
 

コーチはストーカーのように、選手のプレーにつきまとうくらいであれ。「コーチの極意は」一人の選手を追いつづけられるかということ。このことは、個人スポーツでは当然のことだと思います。しかし、集団スポーツでは、組識的な力を分業制で創りだそうとしがちで、個々の力量アップがなおざりになっている傾向が伺えると指摘されます。先生は、集団スポーツであろうとも個々を強くすることを強調されます。そして、時には一人の選手に、まるでストーカーのようにつきまとい、徹底的に強化すれば、その選手を中心に他の選手も力量があがり、最終的に組織力がアップすると語られます。そういえば、バスケットボール全日本男子の課題を、元外人コーチが指摘していました。「日本は組織的に守ることはできても、個人の1対1は弱い。」と。島根県も多くのスポーツの実態として、体格が劣るため、どうしても組織としての力量を考えざるを得ませんが、渡辺先生の指摘される個の力量に焦点を当てることは、見逃してはならないことと感じています。そして、先生は、「コーチの極意は?」と若い指導者に尋ねられ、それは「一人の選手を追い続けられるかということだよ。」と結んでいただきました。

 

   

3 番外「チームづくり編」より  

 

中学校・高校とも総体が終わり、新チームに切り替わったところもあると思います。ここからは、渡辺先生の語録の中でも、「チームづくり」に焦点をあてたコメントをお送りします。

   

(1)「弱いときにがんばれ」  

 

コーチは、チームが弱いときにがんばれないと、強いときにがんばれない。弱いときにがんばっておくと、強い時は楽になる。全国で勝負することを目指していらっしゃる指導者の中には、「選手が集まらなくい・・・」、「今年はちょっとお休み」という声を聞くときがあります。
渡辺先生にも勝てなかった時があったと聞いています。「弱いときにがんばっておくと、強いときは楽になる。」、「弱いときにがんばれ!」とエールを送られると何か力が湧いてきます。

 


(2)「走力づくり」  

 

走力は一番大切な要素だが、短日時ではつかない。走力面(持久力)が不足し、シーズンに入ったら、もう勝てない。しかし、技術は一ヶ月でも取り戻せる。どのスポーツの指導者の方も、心技体の「体」の部分を大切にしていらっしゃると思います。先生は、松江工業高校時代の緑山公園(工業高校の前方の小高い山)までのランニングと数十段ある階段ダッシュ、段跳ばしジャンプのことをよく語られます。しかも選手が自主的にやっていたことも。
基礎技術の練習に移るのも大切。しかし、「走りができないと、いくら技術をやっていても、結局そこに帰着してくる。」といわれるほど、走力の重要性を説かれます。
 

 

(3)「大切なことは1・2・3年とも同じ経験を積ませること」  

 

しっかり走らせたり、OFF の動き方、DEF の守り方など、1・2・3年ともやっていないと、メンバーが変わったとき空白ができる。「チーム内で体力差・能力差があるにしても、いつも別々の練習メニューであるのはどうか。」と指摘されます。人数にもよると思いますが、やり方を工夫しながら、1年生から3年生までが同様の経験(チームの方針に従った練習)を積ませることで、チームが入れ替わっても、空白の時間が生まれないと強調されます。当時の松江工業高校バスケットボール部の伝統の重さを感じました。

 

 

 

4 新聞記事コラム「青春の学び舎」
 

 

「県立松江工業高等学校③」より

 


 最後になりますが、渡辺先生から提供いただいた資料の中に、古い新聞記事を見つけました。
先生が大田市教育長時代の記事だと思います。渡辺先生が、松江工業高校を率いて、全国の檜舞台 で活躍された、秘訣が凝縮されていると思い、ここで紹介させていただきます。

 

バスケット強豪の三種の神器はノコギリ・金ヅチ・板っきれ?
同校を代表する花形スポーツといえば、まず、バスケットボールを挙げなければならない。
昭和33年の国体での初優勝を手はじめに国体・高校総体では決勝に十数回進出し、両大会を通じて計4回の全国制覇を成し遂げている。
同校バスケット部が、特に、目ざましい活躍ぶりを見せたのは、33年から43年にかけてであり、全国の高校バスケット関係者から『山陰のテクニシャンチーム』と恐れられていたものだ。
当時、同クラブを指導していたのは、渡辺晴夫監督(現・大田市教育長)で、その練習ぶりが全国から注目されたのは当然。「今考えると、基礎を非常に大切にした練習メニューだったということです。あとはノコギリ、金ヅチを使ったことでしょうか。」1年生当時、優勝の栄に浴した有本 功(同42年電子科卒)は、ニヤリと笑いその秘密を明かす。「とにかく、ことバスケットとなると、頑固で、わがままな監督でした。それだけバスケットに情熱を燃やしていたんでしょうね。」
その渡辺監督は、必ず、ノコギリ、金ヅチ持参で場内に現れた。当時、バスケット部のコートは、兵舎を改造した建物の中にあった。床に張った板はかなり老朽化しており、ドリブルするボールが「まともにバウンドしなかった」ほどだったという。そんな状態だからボールを敵陣に持ち込んだ選手が、シュートするためにジャンプして着地すると、ズボッと床を踏み抜いてしまうことも度々だった。この時が、監督の出番であった。彼は、用意のノコギリ、金ヅチ、釘をして板片を抱えて破損箇所に駆け寄り、またたく間に修理してしまう。一日の練習の間に3回も、監督が『大工さん』に変身したことがあったとか。選手の方も心得たもので監督が金ヅチを使っている間も、その回りで、ディフェンスの練習に余念がなかった。「監督は、手先の器用な人ではなかったけど、床の穴ふさぎだけは名人級でした。」

 

その『名人』に話を聞いた。「当時の松江工業高校は、山陰の田舎チームで、傑出した選手は、1人か2人しかいなかったんです。当然、得点能力は他の強豪チームには劣るわけで、やむなくディフェンス中心のチームづくりをしたというのが真相でして。」同監督会心の試合として記憶に残っているのは、39年、国体での三条高校(新潟)戦と、43年高校総体における中大附属高校(東京)との、それぞれ決勝戦。両試合とも相手の攻撃を耐えに耐え少ない攻撃機会を生かして僅差で勝利をものにしたという。「当時、チームづくりの秘密は・・・なんてよく聞かれましたけど、私は、ただ生徒の資質と相談してその能力を引き出しただけ。生来ブキッチョですからな、私は。若い人たちに望むこと?集中してやって欲しい。バスケットにのめりこんでやってほしい。それだけです。」

 
 
 

2回に渡り、渡辺晴夫先生の語録をお伝えしてきましたが、皆様にわかりやすく伝わったか、とても不安です。少しでも今後の島根県競技スポーツの強化に向けて、一役が担えたのなら幸いです。
先日、渡辺晴夫塾の第19回目が終わりました。少しずつ会員も増え、松江を中心に開催していますが、出雲・雲南・江津・浜田・益田と今後の開催も引っ張りだこです。
渡辺先生のご健康に配慮しながら、今後も競技力向上のために、皆様とともに頑張りたいと思います。

 
 
 

今月のことば
「リミッティングビリーフ」と言うことについて90%以上の人が自分で自分の可能性を制限する思考を作っていると、言われています。
特に日本人に多いそうです。偏見かもしれませんが、その中でも特に山陰の人には多いのではないで しょうか。どうせ勝てない、あそこには勝てないという相手への名前の壁、山陽勢や関東勢といった壁、アメリカやヨーロッパ勢・・・そういう意識の壁(リミッティングビリーフ)です。


指導者は勿論、選手にこの壁がある限り勝つことはかなり困難です。わたしは、この意識の壁を克服するために遠征という方法があると思っています。
県内のチームでも、全国で堂々と活躍しているチームや選手もいますが、その人達は強化練習の舞台が県外にあること。壁が高い所にある、という共通点があります。
オリンピックで活躍した北島康介選手(水泳)、浅田真央選手(フィギュアースケート)、高橋大輔選手(フィギュアスケート)等は外国へ出かけて行って練習します。朝青龍の出稽古も有名でした。


私が注目したのは、北京オリンピックで、陸上競技400MRで銅メダルを獲った男子チームです。確かにメダル候補のチームが途中でバトンを落としたり、ゾーンオーバーしたりのアクシデントがあり、ラッキーなこともありましたが、もし日本チームに朝原選手がいなかったらメダルは獲れなかったのではなかったでしょうか。彼は若い時、ドイツに何年か留学していました。そこでヨーロッパの選手にもまれて来ました。そこで日本人が持つ外人コンプレックスを乗り越え、彼の強いメンタルがチームを引っ張ったと私は想像しています。即ち、人は長い期間壁と称される強い選手やチームと一緒にいると、その選手やチームに同化するという心理現象がうまれます。いわゆる、外人慣れ、一流慣れ、名門慣れ・・・です。これが、遠征(出稽古)の重要なポイントの一つではないでしょうか。


問題は今一歩というチームに申し上げたいのですが、中国一、全国ベスト8の名門チームに頭を下げて、しつこく遠征することが大切だと思います。一回や二回では同化(同一化)は期待できません。ただ、自チームの実力を確認しただけで終わってしまいます。4校~5校のチームをサーキットで繰り返すことを試みてはいかがでしょうか。そうすれば、そのチームに対して、自分のチームの課題や伸びが明確になると同時に慣れ(同一化)ができると思います。

 

競技力向上統括アドバイザー
荊 尾 俊