[再掲] 渡辺晴夫先生から学ぶもの | 島根県庁バレー部(Pref Shimane)からのお知らせ


以前、島根県体育協会において、「島根・トップコーチ」に掲載された記事です。今の島根のスポーツ界における指導者の課題と重なる事柄が多いと思います。今一度みなさんで考えてみませんか。

 


島根県体育協会ホームページ
http://www.shimane-sports.or.jp/magazine

 
 

 

【第84号発刊にあたって】
第84号は、「渡辺晴夫先生から学ぶもの」と題して、上代裕一先生(教育庁義務教育課生徒指導推進室)に執筆いただきました。バスケットボールの名指導者・渡辺先生には第12号でご登場いただきましたが、今回は「渡辺晴夫塾」で語られた先生の語録を、上代先生がまとめ
て執筆されたものです。(2回シリーズ)

 

【渡辺晴夫先生プロフィール】
昭和20年 島根師範学校卒業
昭和20年~25年 久利国民学校、荒島小、
荒島中、松江四中に勤務
昭和25年~48年 松江産業高校(現松工)、
松江工業高校に勤務(本格的にバスケットボールの指導にあたる)
昭和48年~平成3年 保健体育課長兼国体準備室長、大田一中校長、

 

県教育庁参事、県体協専務理事、大田市教育長を歴任

 


【主な指導実績】
・全国高校総体(インターハイ)
優勝2回、準優勝3回、3位1回、
4位1回、5位1回
・国民体育大会
優勝2回 準優勝4回 3位4回、
5位3回

 

「渡辺晴夫先生から学ぶもの」Ⅰ

 

教育庁義務教育課生徒指導推進室上 代 裕 一
渡辺晴夫先生から指導者としてのあり方について、勉強をさせていただいている内容を寄稿する機会を得ましたことをありがたく思います。とはいえ、先生のお考えを正確にお伝えすることができるか、他の競技指導者の方々に共通した内容で、わかりやすくお伝えすることができるか、難しい点もありますが、ご容赦ください。


1 はじめに


平成19年11月から始まった「渡辺晴夫塾」は、平成22年3月で17回を数えました。県内のミニバスケットボールチーム、中学校・高等学校のチームから男女各2チームをモデルチームに指定し、毎月1回の頻度で行いました。島根県のバスケットボールの「復活」と、指導者にとって「不易」の部分の学び直しを二大テーマとし、渡辺先生の指導場面を体感していくものです。
渡辺先生は、「あと2年は時間がいるな。」と語られるほど、この「渡辺晴夫塾」で、まだまだ伝えなければならない、と感じていらっしゃることが多く残されていると思います。

 

“見る目・知恵・ファイト”、日本のバスケットボール界では著名な吉井四郎氏が『バスケットボール指導全書』の中で述べている、指導者に求める姿です。このキャッチフレーズがそのまま当てはまる、また、それ以上の凄さがある指導者が渡辺晴夫先生だと確信している毎日です。


2 加藤(能代工業高等学校)監督からの一喝


昭和63年頃に当時のバスケットボール高校界の常勝チームであった、秋田県立能代工業高等学校の加藤廣志監督を歯科医師会館へお迎えして県内指導者研修会が開催されました。その研修会の講演の冒頭で加藤監督から一喝された言葉は、「島根県に渡辺先生がいらっしゃるのに、なぜ私などをわざわざ呼ぶのだ。」「私も渡辺先生に学んだのに。」という内容でした。
近年、洛南高等学校(京都)や北陸高等学校(福井)が能代工業高等学校に代わって、高校バスケットボール界では台頭著しいチームですが、洛南高校の南波前監督も北陸高校の津田現監督も、渡辺先生の教授を求めて、松江工業高校の体育館に遠路練習試合に来られた方々であり、その積み重ねが、現在の常勝チームをつくりあげる礎となっていることを、しみじみと語られるそうです。

 

昭和32年以来13年間でインターハイと国体で、優勝4回、準優勝7回、3位5回、4位1回、5位4回は、昔だから成し遂げられたことでは決してないことが、「渡辺晴夫塾」で勉強させていただく中で痛感しています。平日の練習時間は2時間(夜は定時制の授業が入るため)、体育館のフロアーには柱が4本立っている悪条件、シュートをするには天井に張り巡らされた梁の間を通さなくてはいけないことなど、決して万全ではない環境の中での成績だからです。
島根県のバスケットボールは、渡辺先生をはじめとする優秀な指導者の方々の努力で、「バスケット王国島根」を築いてこられました。しかし、昭和55年以降、全国での入賞に陰りが見えてきました。ベスト8すら残れない、一回戦すら突破できない時代が続いています。そのような中で、昭和57年の地元くにびき国体での、バスケットボール競技総合優勝や平成13年地元開催の全国中学校バスケットボール大会での湖東中学校の優勝は、県民にも、バスケットボール関係者にも、復活の予感を感じさせるものがありました。島根県のバスケットボール界に陰りが見え始めた頃、日本の高校バスケットボール界では、異変が起こり始めていました。沖縄代表の辺土名(へんとな)高校が、低身長(170cm 台の選手だけ)ながら全国3位に輝いたのです。試合内容は130対115で勝利するというもの。このゲーム様相から全国や県内のバスケットボールにも大きな影響がでたと思います。マスメディアの発達が拍車をかけ、指導者の指導方針を揺るがすこととなったように感じています。

 

一方で、渡辺先生の指導方針は、昭和30年の頃のそれと揺るぎ無いものと感じています。私が昭和30年から見届けてきたわけではないのですが、バスケットボールというスポーツの根源と人間のからだのしくみをよく理解された上で、先生の理論は成り立っていると感じます。渡辺先生がよく口にされます。「当時は情報や指導書は何もなかった。」と、だから自分が納得する、選手が納得するための理論をつくりあげなくてはならなかったのではないかと思います。それと比較して、現代は、マスメディアが発達し、苦労せずに、全国の、他のチームの、他の指導者の指導方針や指導方法が手に入ります。却ってその量の多さに自分の指導理念を失ってしまっている指導者も少なくないと感じます。私が渡辺先生からご教示を受けた中学校での指導で、こんなことがありました。当時のチームが攻めから守りへの切り替えに課題があったのを見抜かれて、すばやく陣に帰って守りの形をつくる練習方法を紹介いただきました。その練習を2週間継続した結果、今まで20点近く負けていたチームに、20点差をつけて県大会優勝することができました。この練習方法について、先生に尋ねると「あの時考えた。」と答えが返ってきました。瞬間でチームの課題を見つけ、瞬間でその解決策を見出す適確さ、練習の適切な負荷や頻度などをつくり出す創造力を感じ取りました。このような、すばらしい実績と能力をお持ちの渡辺先生から、これからもたくさんの「不易」の部分を学び、指導者の意識改革を図るとともに、「復活」を目指していきたいと考えています。


3 指導者編より


前書きが少し長くなりましたが、これから「渡辺晴夫塾」でご教示いただいた先生の語録を紹介します。
塾の基本日程は、月1回土曜日の午後1時から5時までは選手を相手にした実技指導。午後6時すぎから11時までは居酒屋トークです。午後1時からの実技指導では、渡辺先生は一度も椅子に座られることなく、マイシューズとマイホイッスルで選手の指導に奔走されます。そして、夜は居酒屋で若手指導者と酒を酌み交わしながら、時には畳の上で指導者への実技指導です。ご高齢なのですが、信じられないくらいお元気です。そんな充実した時間の中で語られる一言一言をまとめたものがこれからご紹介する語録です。語録は、「指導者編」「チームづくり編」「OFF基本編」「DEF基本編」「練習術編」「追究しまね編」の6編に分けてまとめています。今回は、指導者として必要な資質について述べられている部分をまとめた「指導者編」の一部をお送りします。


(1)「感謝」


指導する相手(選手)がいることにまず感謝すべきである。渡辺先生の凄さは「チームを強くする」こと
ももちろんですが、お話を聞いていてつくづく感じるのは、「選手を大切に育てる」ことを実践されてきたことです。先般も、「松江工業高校の教え子たちが招待するOB 会が、静岡であってな・・・」と、とてもうれしそうに語ってくださいました。また、3月の塾の時は、「電車で移動する時に、選手から指導者に寄ってきて、ずっとバスケの話ができるような関係を大切にしないといけない。」と自分の体験されたことをもとに、教えていただきました。この頃、小学生のスポーツ事情は、スポーツ少年団やスポーツクラブなどの社会体育的側面に移行していますが、小学生を教える指導者の中に、自分のスポーツ学(例えばバスケットボール学)を幼い子供たちに教え込もうとする指導者が多いことを危惧されています。
それならまだしも、「俺が教えてやっているんだぞ。」と言わんばかりに、自分の指導にそぐわないものは、指導対象としないような勘違いをしている指導者のことを嘆いていらっしゃいました。そうではなく、指導者は、指導できる相手がいることにまず感謝して、丁寧にその年代にあった方法で育ててやる必要があることをいつも示唆いただいています。

 


(2)「先に教えるな」

選手が気づいて、課題とし、取り組む自主性を大切にし、決して教え過ぎないこと。「昭和30年ごろは何も参考にする本などなかった。」と語られます。それとは裏腹に、現代はマスメディアが氾濫し、いろいろなチームの、いろいろな指導方法が、瞬時に手に入ります。その弊害として、指導者が選手に対して、選手がつくりあげる前に、先に技能(コツなども含む)を教え込んでしまう嫌いがあることを危惧されています。4月のテレビ番組で、かつて広島東洋カープを3度の日本一に導いた古場監督(東京国際大学監督)が、故津田投手の息子(同大学)のピッチング指導の際に、スピードボールを投げれるために、「もっと体を前に」、「バッターに向かっていくように」の2つの言葉しか送っていませんでした。
渡辺先生の選手への実技指導でも、「ひっつけ」「ぶら下がれ」「直角に走れ」などの、短くわかりやすい言葉がとびます。そうかと思うと、多少のミス(指摘したこと意外のミス)があっても、静かに観ていらっしゃいます。選手が、自分で課題を感じる時間、課題を克服するために解決方法を考え出す時間、ミスをしても反省して自主的に修正する時間などをきちんと与えることに留意されています。指導者がついつい教え過ぎるときがありますが、そこを少し我慢して、選手自信が自主的に気づき修正する能力を育てる大切さを訴えられています。結果、試合中も選手が自ら修正していきます。

 


(3)「選手の良いところを引き出せ」

 

指導者として、選手の良いところを認めてやるのが第1条件。わりあい悪いところをとがめている。悪い所は選手が自然に治していく。悪い所は少し治れば良いとし、良いところはどんどん増やしていく。選手のプレイを褒めることで伸ばしていくことは、どの競技でも実践されていることなのですが、渡辺先生は、指導者は無意識のうちに選手の悪いところをとがめていることが多いと語られます。そのような時は、指導者が選手への信頼を失っている時ではないかと感じます。もちろん、選手に檄を飛ばす意図で悪い所をとがめていることもあると思います。渡辺先生は、どこがどのように悪いのか、選手に考えさせたり、わかりやすく説明した上で、選手の取り組みをじっくり観察して、時には檄を飛ばし、時には笑顔で拍手を送っていらっしゃいます。塾の実技指導後のミーティングでも、選手を前に、取り組みの成果を必ず褒められます。しかも短くまとめて褒められます。(実際に褒めれるほど、選手が好転しているのは事実ですが)悪い所はほとんど指摘されません。悪い所は選手が自然と治していく、悪い所は少し治ればよしとする、その姿勢が最後のミーティングで0の褒め言葉になるのだと感じています。

 


 

(4)「練習試合より信頼」

 

練習試合をやたらとするのは簡単なこと。「先生の練習をしていたら勝てる。」と選手から思われる練習をすればいい。指導者はそれくらい選手から信頼されることだ。「近年、週末になると県外の強豪チームを求めて遠征に出かけるチームが多くなったな。」という渡辺先生のご感想から、居酒屋での話題となりました。確かに高速道路網が波及し、比較的短時間での移動が容易になり、県外のチームと練習試合をしても日帰りできるほどになりました。また、強豪チームとの練習試合を通して、より高度なゲームに慣れるといった効果などは大いに期待できることは言うまでもありません。しかし、指導者自身が他の指導者が育てたチームの力を借りて選手を育てることばかりに頼るよりも、自身の指導力をあげることを目指してほしいと力説されます。(松江工業高等学校が全国制覇をしていた頃のように)「練習試合をするより、先生の練習をしたほうがいいです。」と選手が進言してくれるような、選手から絶大の信頼を得られる指導者でなくてはならないことを語られます。


(5)「基本の大切さ」

 

作戦を立てたことやフォーメーションができても、相手に違うことをされ時に対応できないのは、基本がなってないからだ。特にチームゲームには、フォーメーションプレイ(サインプレイなど)があると思いますが、バスケットボールでもフォーメーションプレイを中心に組み立てているチームがあります。こ
のようなチームは得てして、全国で戦う際に相手チームに対応された時、その後何も手の施しようがなくなる場合があります。渡辺先生は、相手に対応されても、自分たちのプレイをやり通すためには、基本が大切だと強調されます。基本は、バスケットボールでいうと、ドリブル・パス・シュートなどの基本技
能もありますが、ゲームを行う際の基本も重要であるということです。


(6)「常に逆の立場を考えろ」

指導者はオフェンス(攻め)の時はディフェンス(守り)の立場で考え、ディフェンスの時はオフェンスの立場で考えること。バスケットボールのように、攻守が入れ替わる競技だけではなく、どの競技も、対戦する相手の目線で自分たちのプレイを評価することは大変重要であると教えていただいています。渡辺先生は、塾の指導場面でもいろいろと立ち位置を変えられます。一番驚いたのは、選手が行き交うコートの中に入って、オフェンスの動きをチェックをされている場面でした。バスケットボールの指導場面で、オールコートのドリルをやっている時は、コートの外(角度は変えることがあっても)からコート内の選手の動きを観察することがほとんどです。しかし、先生はコートのど真ん中に入って行かれ、オフェンスの動きを相手ディフェンスの立場で観察しては、選手に指示を出されます。

 


(7)「異校種の試合を見ることの重要性」

 

高校の指導者としてインカレを見に行った。生徒(高校生)の成長の先行きが見えるようになる。昭和32年ごろから、インカレ(全日本大学選手権)を見に行ったことをよく語られます。今になっても必ず見に行っていらっしゃいます。その他にも、関西の高校や関東の大学の指導助言に出向かれたり、WJBL チーム(JAL)の北海道合宿に同行されたり、とにかくエネルギッシュです。それも、選手の成長した上での先行きが見えるようになるからだと教えていただきました。高校の指導者として、中学校の試合も見に行き、入部してきた選手がどのようなプレイが得意だったかを理解しようとしたこともお話になります。指導者の財産は他の校種のゲームを含めて、見る回数だと指摘されます。

 


(8)「いつも均等指導はどうか」

 

選手をいつの練習でも均等に練習の機会を与えるのではなく、一人を集中して教えることも重要。自分のチームの選手が例えば40人いた場合、40人に対して、場所や時間や頻度(回数)などを均等に与えることばかりに終始するのはどうかな、と問い掛けられた時がありました。渡辺先生はよくこんなことを言われます。「1年365日、一週間ぐらい集中して一人の選手に絞って鍛えたらどうか。」「一人の選手が変わるとチームが変わる」と。均等に40人を鍛えていくことを考えがちですが、平等を間違えるとチーム全体が成長しないことがあると忠告をくださっています。

 


今回は、渡辺晴夫塾「指導者編」の一部について、ご紹介いたしました。どの競技の指導者にも共通する内容をと精選したつもりですが、不備な点はお許しください。次回は、さらに奥深い渡辺先生のお話ができると思いますので、ご期待ください。

 
 


 

 

「今月のことば」
全ての子に金メダルを高校総体や中学総体が近づくと思い出すことがあります。私が新任で隠岐高校へ赴任して、最初の大会が高校総体でした。当時、陸上競技と女子バレー部の掛け持ちの顧問をしていましたが、専門外のバレーボールには心が入らないままの大会出場でした。
港に出発の見送りに来たF子が、「とうとう、3年間一回も本土へ連れて行ってもらえなかった」と、ポツリと言いました(校内ルールで10名以内が出場可)。その時はあまり気にも止めず、大会に臨みました。結果は一回戦敗退という悔いが残るもので、只ただ指導の未熟さと、打ち込む気持ちのいい加減さを痛感しました。3年間球拾いや下積みの部活動を強いられ、コートにも立てず、本土にも渡れず、何のための部活動だったのかと、F子
の心情を思うと申し訳無く、掛ける言葉が見つかりませんでした。F子はその後、何も無かった様にいつもの明るさで接してくれましたが、このことがきっかけで、専門外のバレーボールにのめり込むことになりました。何としても勝ち進んで、コートに立てない子にも、「部を支えてくれて、ありがとう。お前のお陰で勝てたよ。」の言葉を掛けてやりたいと思い続けてきました。部員である以上、どの子にも価値ある青春であって欲しいと願い続けることは教師として当然の気持ちですが、3年間部活動を続けて来て良かったと思えるような心に響く言葉をかけてやることは教師としての責務ではないでしょうか。陽に当たらなかった子の心に残る、言葉の金メダルを贈りたいものです。最後の総体がすべての子にとって価値あるものであって欲しいと願っています。

 


 

 

競技力向上統括アドバイザー

荊 尾 俊