「牛タンを食材としたシングルマッチ」前夜 | 丸山敦オフィシャルブログ「丸山敦のブログ」Powered by Ameba

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今、日本でもっともカブいたプロレス団体、バサラさんから9月2日仙台大会のオファーがきました。内容は、竜さんと「牛タンを食材としたシングルマッチ」で対戦して欲しい、というものだった。

わたしはふたつ返事でこのオファーを受けた。
わたしにも意地があるからだ。

だか、わからない。「牛タンを食材としたシングルマッチ」とは?

牛タンはわかる。牛タンを食材とした料理なら、焼いたり煮たり、細かく切ってシュウマイにいれてもいい。餃子にだってできる。

だが、それらはあくまで「牛タンを食材とした料理」だ。今回のオファーは料理ではなく、「シングルマッチ」だ。わたしは考えた。考えた末にわたしは辿り着く。

これは公案なのだ、と。

そもそも、私達には強い思い込みが2つある。

ひとつは、「どのような問題も思考によってのみ解決可能である」という思い込みだ。

たとえば、「戸が開かない」「友達に嫌われた」といった日常的なトラブル。僕たちはこのような問題について「思考によってのみ把握することが可能で、思考によってのみ解決策を得ることができる」と当たり前のように思ってる。

もちろん僕たちは現実的に把握も解決もできない問題があることも知っている。

たとえば、「宇宙の果てはどうなっているのか?」といった問題。こういうものについて、僕たちは「たしかに思考では答えは出せないよね」と素直に敗北を認めるわけだが、それは裏を返せば「思考で解決できないんだから、わかるわけないよね」と決めつけているのである。

つまり、いずれにせよ、僕たちはあらゆる問題について「思考」を基準に「解決可能」「解決不可能」を判定しており、「思考以外の取り組み方はない」と思い込んでいるのである。

2つめは、「その思考こそが私自身である」という思い込みだ。
思考とは肉体が持っている機能の1つにすぎない。だが、たいてい僕たちはその機能を重要視し、それどころか、それこそが「わたし」なのだと「同化」してしまう。

さて、「思い込み(固定化された分別)」は「無分別智の境地」を阻害するものであるから、それらの思い込みはなんとしてでも打ち砕かなければならない。その方法の1つが今回の「牛タンを食材としたシングルマッチ」という公案なのである。

ついてきてますか?

公案とは、簡単に言っちゃうとナゾナゾである。しかし、どんなトンチも通用しないナゾナゾだ。

答えはない。しかし、考えなければならない。

論理的に矛盾のあることを論理的に考える

という明らかな矛盾。

それでも考え続けると脳は拒否反応を起こし、思考が停止する。

その瞬間!!

背中に取り憑いていた魔物が剥がれ落ちる。それは物心ついたときからずっとまとわりついていた「思考」という魔物。そこではじめて「思考」を他者として観ることができるのだ。



つまり、バサラさんはわたしと竜さんに対し、牛タンとかそんなものにとらわれないでレスリングを悟れ、と言っているのでは、ないでしょうか?もちろんこれは逃げとかじゃありませんから。

竜さんとわたし。

それから、観戦しているあなた。

思考を通さずにレスリングをする。

思考を通さずにレスリングを楽しむ。

我々には、それが求められています。

2017年、秋。

プロレスは、ここまで来ました。


参考文献
「史上最強の哲学入門〜東洋の哲人たち〜」