おねーちゃんの体育祭には、元旦那も来ることになっていて、会えるのを楽しみにしていたあーちゃん。


元旦那には、子どもの行事ごとなどは、学校からのプリントやメールをそのままLINEで送ってます。


大体「オッケー」とか「サンキュー」、「了解」のどれかの返事が来るくらいで、実際来るのかどうなのかまでは当日になってみないと分からない感じですが。


先日の体育祭では、お昼休憩が終わった頃に来たのか、私たちを見つけたのかわかりませんが、パパに会えてあーちゃんも喜んでました。


が、数分一緒にいて、「ちょっとトイレ行ってくる」と言ったままフェードアウトしました。


あーちゃんも、パパは?って聞くけど、うーん、来ないねぇ、帰ったのかなぁ??と言いながら、体育祭は終わりました。

終わりました。笑


久々子どもと会って、そんな感じの人…。

今は他人なので、そうそう、そんな感じのことたくさんあったよねー、と思いますが、まだちょっと、子どもたちのことどう思ってるのかなぁ?とか考えてしまいます。(きっと何も考えてないとも思います笑)


今まで、私には理解できないとこがたくさんあって(もちろん向こうもそうでしょうが)、他人なら面白い人でいいけど、自分、この人の奥さんなんて嫌だと思いはじめたらもうダメでしたー。


なんかが違う、なんなんだろうーって。

おねーちゃんが中1、中2と心を病んでしまって、

児童心療内科とかにもかかったのですが、

その時に発達の検査みたいなのがあったんですね。


その時、両親揃って、おねーちゃんの小さい頃からの聞き取りなどがあったのですが、たくさんある設問の中で元旦那の方が、あ、これ俺じゃん、これも俺こういうことあるよねー笑と、言っていたので何かあるんじゃって言ったじゃん、と2人で笑ってました。


悪い人ではないって結構やっかい。

ほんと悪い人じゃないんですよねー。

むしろ他人なら面白いやつだし。


明らかなDVとか明らかな浮気症とかならすぐさま離婚だけど笑


とはいえ離婚するときもすんなりだったので、お互いどれだけ共有できた気持ちがなかったか、すごーく分かりました。


すべて理解し合えるなんて誰とでも無理な話ですが、気持ちの共有とか出来てたら離婚はしてなかったと思いますねー。


でもそういうことがあったおかげで、私も、いくら家族とか親しい人でも、

『別の人間』というのを本当に理解できたとこもあり、いい意味で放っておく、というのができるようになった気がします。


気がつけば、母と同じようなことを言ったりしている自分がいたなぁと思った時に、私のことが心配だったんだろうな、とも思うようになりました。

でも、心配されるって要は信用されてないてことですもんね。


自分の心配な気持からの言動じゃないかとか、気をつけてます。

あとは、自分の価値観と違うからと言って、否定から入らないとか、まぁ出来た大人なら当然のようなことですが、無意識にやってることってあったなぁとかなり思います。


知識として頭ではわかってたことだけど、

身に染み付いてる考え方とか言動って、自分で気がつくのってほんとに難しいですよね。そして本当に大切な人がいないと、変わろうとも思えないのかも。


人は、痛みとそこからの良い出会い、それは人でも本でも映画でも、がないと変わらないのかもな。


さ、仕事しよー。

今日は朝から1人で歌いすぎてしまいました。