【神道つれづれ 138】
※R7.7発行「社報」 283号より
薪から電気やガスへと移行し、生活が便利になり始めた昭和40年代。山では、野生動物が増え始め、狩猟解禁となり、毎月の奥宮登拝が難しくなり始めました。その為、里に奥宮の遥拝所 兼 古神道を学ぶ道場が、我が家の裏に建立されました。
父は、言霊を息吹く神主、常連さんの会員さんは審神者として、それぞれの資質を育てていく、そこは、そんな修道の場(里宮・道場)になっていきました。
今回は、幼少の頃から 道場での御祭に参列されていた方のお話です。
その方は岡崎篤嗣さん。当時は、少年なのに神主資質だと、私は感じていましたが、今は、九州で弁護士をされています。偶然、FBで繋がり、彼の投稿を読んで感激し、
彼の投稿を知ってもらいたいと思いました。
今回は、その記事の〔ChatGPT先生関西弁〕翻訳部分を紹介いたします。
「夢の中で誰かに教えてもらいました」より
「人っちゅうもんはな。死んであの世に行くときに、地位とか名誉とかお金とか、そないなもん 持って行かれへんのや。結局な、持って行けるんは魂だけやねん。
せやからこそ、生きているうちに魂を清ぅして、豊かにしとかなアカンのや。これが、人としてほんまの務めやと思うわけや。
ほな、魂ってどう育てんねん言うたらな、心に種まいて、それを耕して、ちゃんと芽ぇ出させて、大事に育てていく・・
そないな地道な努力が要るんや。それってな、日本に昔からある稲作とよう似てるねん。田植えして、草取って、風や雨に耐えて、それでも 秋にはちゃんと実る。
まるで人の心の成長そのもんやろ?
米っちゅうんは 陰と陽の氣を持ってるて言われててな、稲は命の根っこ、命そのもんや言うてもええ。その稲作やけど、ええ天気ばっかりちゃうねん。雨も降るし、風も吹くし、泥にもまみれる、でもな、そういう苦労を経てこそ、秋には黄金色の稲穂が実るちゅうわけや。
自然の厳しさをありがたく思える心。それがあってこそ 稲作は成り立つねん。こないな姿勢はな、ワシら日本人が昔っから大事にしてきた知恵やねん。自然に逆らわんと、うまいこと付き合いながら、ほんでそこにちょこっとだけ人の工夫を加える。そのバランスが肝心なんや。
たった一粒の米でも、天の恵みと農家さんの汗と涙がつまっとる。つまり、**神さんと人との合作(がっさく)**や。言うたら「和の力」やな。
稲作が自然の試練と恵みでできているように、ワシら人間の心もまた、試練を通して育っていくんやで。神さんがな、たまにドーンと試練ぶつけてくるけど、それはイジワルやのうて、魂を強うしたいからや。いわば "愛のムチ"っちゅぅもんやな。
そのムチをきちんと受け止めて、乗り越えた人こそ、ほんまに豊かな魂を持てるとゆうわけや。心が豊かになったら、暮らしも自然と豊かになっていくもんや。
この道理はな、旧約聖書のアブラハムやヨブの話にも出てくるんやで。信じ耐えた人には、神さんがちゃーんと祝福をくれるんや。せやからこの話は、宗教とか時代とか関係なく、人がどう生きるべきか教えてくれる大事な教訓やねん。
逆に言うたらな、魂売ってまで手に入れた地位や名誉やら金っちゅうもんは、見た目に立派かもしれんけど、ほんまは、**ただの幻想や** 悪魔と契約して手に入れたもんは、長続きせぇへん。魂を犠牲にした繁栄は、いつか必ず崩れてしまう運命なんやで。」
☆岡崎篤嗣さんの神主気質は、今も健在の様です。何歳になっても、魂修行。☆
誇らしいですね。