【神道つれづれ 142】

※R7.11発行 「社報」287号より

 

最近、クマ出没・被害のニュースが頻繁に報道されています。

「中国新聞」天風禄(10/26)でも紹介され  中国地方も例外ではないのでしょう。

以下その本文より引用です。

 

[イノシシによる農業被害の取材で「獣害はすぐに片付く」と言う研究者がいた。・・

「食料は輸入品に頼りきり 田畑を全てつぶせば  の話ですがね」そんなことは無理だし誰も願ってはいまい。中山間地域の青写真をどう描くのか。一向に腰が定まらぬ人間社会に覚悟を問いかける極論だったのだろう。

ただ、そんな逆説も どうやらクマに限っては  成り立たぬらしい。

田畑どころか 餌を探して人家まで荒し 人身被害がやまない。

犠牲者は東北や北海道で合わせて2桁に乗り 過去最悪となっている。「災害レベル」という悲鳴さえ 現地から聞こえてくる。対策はどうかといえば心もとない。

市街地に現れた クマやイノシシを捕獲できる [緊急銃] は先月からスタートしたばかり。

さしもの猟友会員も勝手知らぬ街だと 弾の跳ね返りや打ち損じが気になろう。

お巡りさんの拳銃では、皮も脂肪も分厚いクマには気が立たぬと聞く。「このままでは獣害の世紀になる。」例の研究者の予言が的中しそうな気配である。』と。]以下略

 

今後、人間の都合だけで 全生物を含めた未来を決める世の中が求められるのでしょうか。『民俗学辞典」では「熊には多くの山言葉があって畏敬されている。熊を神聖視してとらぬ村がある。熊野神社のある所に多く・・」とありました。

 

クマと人との関りに何か作法があるかもしれないと思い、我が家の本棚を探してみると『クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人姉崎等』-姉崎等・片山龍峯著

ちくま文庫-が目に留まった。そこには 神道の起源の根っこの部分、自然への畏敬の念・感謝。

熊の魂への流儀も記されており、クマがただの動物ではない、特別な存在であったことも理解できたように思いました。

姉崎さんは、クマ撃ちとしてクマを師匠とし、カムイホプニレ(クマの魂送り)をきちんとし、キムンカムイ(山の神)として大切にし、引退するまで一人で山中を歩きながら 怪我をし動けなくなったことはなかったという。

クマを通し 自然とは。人とは何か。考えてみるのもいいですね。