【神道つれづれ 114】

※R5.5発行 「社報」257号より

 

植物が、生き生きと輝く季節になりました。

新しく始まったNHK朝ドラ【らんまん】は、日本の植物学の父といわれる牧野富太郎をモデルにしたドラマです。今年の春は、四月には花々が咲き誇り、まさに爛漫ですね。

 

牧野富太郎は、自らを「植物と心中する男」「草花の精かもしれん」とも言っていたようです。今回は、そんな牧野富太郎の復刻版『続植物記』の中から、晩年の昭和十四年八月十三日発行『週刊朝日』に掲載された記事より、草木への愛の部分を紹介します。

 

「・・終わりに臨んで今一言してみたい事は、私は草木に愛を持つ事によって人間愛を養成する事が 確かに出来ると信じている事です。

もしも私が日蓮の様な偉い人であったならば、私は草木を本尊とする一の宗教を建てることが出来たと思っています。草木は生き物で、そして生長する。その点敢て動物と異なっていない。

草木を愛すれば草木が可愛くなり可愛ければ大事がる。大事がれば之を苦しめないばかりでなく之を切傷したり枯らしたりするはずがない。そこで、思い遣りの心が自発的に萌して来る。

 

一点でも、そんな心が涌出すれば それはとても貴いもので、これを培えば段々発達して 遂に慈悲に富んだ人となるであろう。このように草木でさえ思い遣るようにすれば 人間同士は必然的に尚更に深く思い遣り厚く同情するであろう。

即ち堅苦しく言えば博愛心、慈悲心、相愛心、相助心が現れる。人間に思い遣りの心があれば 天下は泰平で喧嘩もなければ戦争も起こるまい。

 

故に、私は是非とも草木に愛を持つ事を国民に奨めたい。しかし、何も私の様に植物の専門家になれというのではない。唯、草木の愛好家になれば可い。

ここに、洵に幸いな事には草木は自然に人々に愛される十分な資格をそなえ 彼の緑葉を見ただけでも美しく その花を見れば尚更美しい。即ち誰にでも好かれる資質を全備している。そして、この自然の微妙な姿に対すれば心は清くなり、高尚になり、優雅になり、詩歌的になり、また一面から見れば生活に利用せられ工業に応用せられる。

そして、これを楽しむに多くは金を要しなく、それが四時を通じて我周囲に展開しているから何時にても思うまま安易に楽しむことが出来、こんな良好な かつ優秀な対象物が またと再び世にあろう乎。

 

我日本の秀麗の山河には、そこに草木が大いなる役目を務めているが、これが万古以来永く国民性を陶治した一要素ともなっている。決して彼の櫻花のみが敷島の大和心を養成したのではない。・・・。

私は、上に述べた草木愛から養われた経験を持っているので、私は、尚更強くこれを世に呼び掛けてみたいのである。」以下略

 

今の世にも相通じる感慨深いものがありますね。 感謝。