【神道つれづれ 110】

※R4.12発行「社報」252号より

 

本年を振り返ると、親しかった方の訃報を見聞きする機会が増え、私自身も終活を真剣に考えるようになりました。近年は、自然・森林をテーマに活動をしておりますが、本来の専門は神道。この学問との出会いは、私の生涯で一番充実していたように思います。

今回は、『日本人のこころと神道』蒼洋社発行の中から、第三章-二十一世紀の宗教と神道-より、恩師の上田賢治先生のお話部分を紹介したいと思います。「神道を海外の人に説明するときに・・?」に答えられたものです。以下、引用部分です。

 

「私は、大体が神学。これは信仰を理性に基づいて問うという学問で、信仰というのは本来、人間がどう生きるか、自分がどう生きようとしているかという事と関わっていて、その価値というのは、何が一番大切かという事で、これは心の在り方から言うと・・人間の感情が一番関わっているんですね。

 

理性よりむしろ感情なんです。何が好きか嫌いか、何がいいと思うか悪いと思うかという事は、感情が一番強く働いて、よほど鍛錬を受けて、その感情を抑え突き離して、理性的に物事を考えるようになって、初めて自分の信仰を突き離して、他人が見るような目で見ることができるようになる。神学というのは、そういう学問だと思います。・・

 

日本の神様というのは、どんな優れた神様でも、どんな劣った神様でも、神様であって、その点ではお互い補い合いながら 多数の神様で世の中をよりよくしていこうとする人間の営みを助けてくださっているという、そういう信仰ですからね。

そこのところが分かっていただけるのか、一番難しい。どうしても選択思想ですね。選び取るという。・・

 

しかし、現実の社会は、そういう考え方のぶつかり合いなので、・・

自分を主張しようと思えば、相手の主張の長所を認めなきゃという感じです。ですから、私は、神道というのは、その意味で非常に普遍性を持った、世間で苦労した人ほど理解してもらえる信仰だと思っているんです。」以下略

 

神道を学んだ日本人の一人として、日本の信仰や文化について、私なりに語り伝えられるよう努めていきたいと思います。有難うございました。