【神道つれづれ 103】

※R4.6発行「社報」245号より

 

平成14年1月から、大蔵嶽神社の「社報」発行に携わり、20年が経ちました。

この「神道つれづれ」の部分は、「不思議の森のおしゃべり」・「天地ふしぎ発見小話」・「森はともだち」と自身の活動を通しての出来事を紹介してきました。

大蔵嶽神社の御祭神は山の神様。森林生態系の中に身を置き、自然体験活動を通して、仕組みの中で生かされている自分を発見することも多く、原点に戻りH23年1月号より「神道つれづれ」を綴り始めました。

 

「神道つれづれ」では、人の本質のようなものが知りたくて、いろんな人々の暮らしや考え方も紹介できたらという思いで続けてきました。

それでも、「これが神道なの?」って聞かれると、自信を持って応えることが難しく、申し訳なく思うこともありました。力不足で申し訳ありません。m(__)m

 

ただ、人が生きていく上で、摩訶不思議なこと、得体のしれないもの、近年のコロナウイルスや戦争等がもたらす、いろいろな恐怖や不安。人の力で解決不可能なものに人類が対峙した時、どうすればいいのか。人の弱さを目の当たりにしました。

 

宗教の始まりは、こんな不安や恐怖からの解消のために起こったものでもありましょう。多神教は、身近な自然・動植物等の生活からヒントを得て。

一神教は、唯一無二の強力な力の下に救いや助けを求めて。

それぞれの環境で、できることを信じて行い、生き残った子孫が、私たち人類なのかもしれないと。

 

多神教でも一神教でも、信じることで、不安や恐怖から解放されるなら、宗教は人類にとって、全く必要ではないとは言えないのではないか・・とも思うのです。

 

これが、AIに変わる時代がやってくるか否か、今は分かりませんが、それぞれがそれぞれの生き方を尊重すれば、宗教戦争も回避できると信じています。

今は、世界が平和に向かうことを、ただ、願うばかりです。 m(__)m