【神道つれづれ 101】

※R4.3発行「社報」243号より

 

最近、断捨離という言葉をよく目にします。私は、還暦を過ぎた頃から、先の事が妙に心配になり、最近は、自分の死後、子どもたちに迷惑をかけないようにするにはどうしたらいいか。。そんなことばかり考えています。

 

コロナ過でもあり、収入減に加え、光熱費の上昇。最近は生活必需品も、じわじわと物価上昇中。夫の実家は空き家になって十年経過。オール電化だったので、いよいよ家計に負担がかかってくるようになりました。最近は、暇を見つけては、実家の空き家の片付けをしています。

 

夫の実家は、大正時代から昭和初期、和菓子屋からパン屋も始め、とても繁昌していたようですが、第二次世界大戦頃から一変。この時代は大変だったようです。

空き家の押入れなどに、当時の名残を伝える品が残っていましたた。

曾祖母の大きなタンスに大事そうに入っていたのは、子どもたちの保険証書。当然、今はただの紙切れ。店がつぶれ、敷地や家を売り、持山の木で建てた家は時代遅れ。

遺品を整理すればするほど、栄枯盛衰の物語が、頭の中に現れては消え、また現れては消える。その背景を考えるだけで胸が苦しくなってくるのです。

そして、使えそうなものを見つけると、これを無下に捨ててもいいのか。ふと、そんな気持ちになりました。

 

埃まみれだけど状態の良い和菓子の型は残し、家に持ち帰りきれいに洗い、油を塗ると、美しい彫が浮かび上がりました。木枠の素材や彫師にもこだわっていたんだろうな。使い込んだ型に、彫師の名前が入ったものもありました。

大正時代は短く印象が薄いけど、平和な時代でもあったのかもしれないと。本当にいいものを作ろう。人々が心から楽しめる社会を目指そうとしていた時代が、かつての日本に確かにあったのだと。手に取るものが訴えかけてくるようでした。

 

日本人は勤勉で真面目。誠意を尽くして仕事をしていた時代。「もったいない」から何とか活かせないかとアイディアを駆使し、商品開発を楽しんでいた時代。

過激な競争社会の前は、人が人らしく生き生きとしていたのかもしれないと。

 

空き家の片付けから気づかされたこと。日本人が大切にしてきた「もったいない」の精神から生まれた様々な発明・文化。その根本となる精神だけでも、後世につないでいけたらと思いました。捨ててもいいものと残したいもの。取捨選択は難しく大変だけど、これらが上手く回せる世の中になることを信じ、考え続けていきます。

感謝・感謝。