【神道つれづれ 91】

R3.4発行「社報」232号より

 

還暦を過ぎると、元気な人でも生活を見直すようになります。

人生の節目を迎え、一段落できる状況になったら、自身の身心の精密検査を受ける事もいいですね。そして、自分の存在意義を考えるようになるようです。

 

先日、一通の手紙が届きました。私の国大時代の友達「丸ちゃん」のお姉さん夫婦からのものでした。年賀状の返信も兼ね送られて来たものでした。そこには、彼が12年も前から悪性脂肪腫の難病と闘いながら勤務を続けていた事。その間に、両親を見送られて良かったと話していたことなどが綴られていました。

そして最後に、丸山裕一郎という男が、この世に存在していたことを長く記憶に留めておいてくだされば幸いですと書かれていました。

姉妹に囲まれ育った長男の丸ちゃん。ご家族からも愛されていたのでしょう。

 

学生時代の彼の印象は、誠実で真面目で優しい人。「鉄ちゃん」の彼が、旅行計画を立て、専攻科仲間で神社巡りをしたこともありました。車両の話になると、目を輝かせて熱く語る丸ちゃん。楽しかった思い出です。

ずっと独身貴族だった丸ちゃんが守ってきた霞神社。宮崎県には立派な神社が沢山ありますが、私にとって、いつか必ずお参りに行きたい特別な神社になりました。

 

この春休みの事です。実家の片付けをしていると懐かしいものが出てきました。

昭和の夫婦漫才でお茶の間を笑顔にした、今は亡き鳳啓介・京唄子の漫才コンビのサイン。そして、当時の事を思い出したのです。

その鳳啓介が、故父のお墓参りにこちらに帰郷され、同級生の家に立ち寄られた時の事。私は、両親からサインを頼まれ、ハンカチを持って会いに行きました。大人の中に子ども一人。そして、私には。。。

「我と来て 遊べや 親のないカッパ」と書いて河童の絵のサインをし、説明してくれたのです。

 

これは、子どもの頃、父親に勘当され、芸能界に飛び込んだ鳳啓介の心情を詠んだもの。テレビに出るようになっても、勘当された身だから・・ずっと帰郷できなかったそうです。「親は大切にせにゃ、あかん」と、「おっちゃんみたいになったら、あかん」と。

本当は、父に一目会いたかったんだろうな思いつつも、小学6年生の私は、その心中を察することもできませんでした。

その後の話の成り行きで、当時、森田健作主演の「おれは男だ」のドラマに興味を持っていた私は、なんと、鳳啓介に森田健作のサインをお願いしてしまったのです。

鳳啓介は、「知っとる。ええよ」と手帳に書き、「おっちゃんの事も覚えといてや」と、にこにこしながら言ってくれたことを思い出しました。

 

今回、見つかった色紙大の茶封筒。そこには、(株)サンミュージック後援会事務局の茶封筒に入った森田健作のサインのハンカチ。色紙に書かれた鳳啓介・京唄子のサイン。鳳啓介の名刺。お弟子さんの名刺。鳳啓介と京唄子の「ポテチン」のレコード。これらが何を意味しているのか。いろいろ想像してしまいました。そして

「おっちゃん。ちゃんと約束守ったで・・」そんな声が聞こえてくるようでした。

 

鳳啓介と膝を交えて話したのは一度だけでしたが、その後、何度か京唄子と一緒に帰郷されたようです。最後は京唄子さんだけが、鳳啓介の訃報を知らせに来られたそうです。

私は、鳳啓介のおっちゃんに、お礼も伝えられませんでした。ただ、鳳啓介という人は、小6の生意気な私の話も真剣に聞いてくれて、約束もしっかり守ってくださったこと。そして、なにより同郷の大先輩であること。いろんな人にもっと知ってもらいと思っています。そして、亡き人の御魂に恥じないような生き方がしたいと思います。

 

苦しみも悲しみもすべて受け入れ、自分らしく使命を全うした人の魂は、多様な人をも包み込む優しい光となるようです。感謝。