【神道つれづれ 62】

※ H30.8 発行「社報」 200号より

 

還暦というのは、子どもの頃の事から将来の事まで思案し、人生に一区切りする時期なのでしょう。だから、身の回りの整理をする。その時、ふと思うのです。

何故、こんなものを大事にしまっておいたのだろうかと。特に役に立ちそうなものでもありません。ただ、当時の自分にとって大事なものだったのだと。そして、自分の人生の価値観を振り返るのです。

 

最近、放置された空き家・林野・田畑の増加が社会問題になっています。だから、自分たちが動けるうちに子どもたちに迷惑をかけないようにと、空き家になった夫の実家を、この春から夫婦で片付け始めています。

すると、二階の押入れの奥から、沢山の衣類と布が山のように出てきました。義母は洋裁が上手で、内職をしていた時期もあったとかで、随分昔からしまい込んでいたようです。その衣装ケースの底に敷いてあったのは、昭和42年7月の豪雨災害の記事。ほぼ全面を埋め尽くした一日分の新聞でした。

この年、義母の実家も集落も、土石流で流されたそうです。その教訓をもとに、土砂崩れ防止対策工事が施行され、現在、そこには義母の実家はありません。

 

義母はどんな思いで、洋裁に打ち込んでいたのでしょうか。必要以上にため込んだ布の山が、それを語っていました。今年の春、ここを片付けなければ目にしなかった記事。「この新聞、防災センターに寄贈したら・・、参考になることがあるかも・・」と夫に話すと、防災センターにはデータが保管してあるから大丈夫との返事。

 

それでも私は、何故か気になりました。大事なメッセージがあるかもしれないのです。子どもの頃から、偶然は必然であるような出来事を見聞きして育っていましたから。「見るもの聞くもの 皆教え」特に身の危険に関わることは、不思議と知らせがあるものなのです。

先々月の初め、今回の豪雨災害に直結するような夢を見ました。この夢の引き金になったのは、50年も前に起こった、この新聞記事だったかもしれません。

人間も動物の仲間。異常な雨の降り方は異常を生み出すことを、本能が教えてくれます。この雨が大変なことに繋がるかもしれないと直感したのは、それらの出来事があったからかもしれません。救助活動で缶詰状態の夫が帰ってきた時、熱中症気味でした。いつもと違うことに気付け対処できたことが幸いしたのです。

「見るもの聞くもの皆教え」に感謝。有難かったです。

 

 

東京農業大学教授 宮林茂幸氏は、「山村が国土を守る」の中で、ある過疎山村の話として・・「この村は急崚で土地が柔らかいから、豪雨に見舞われると どこかで土砂崩れが起こる可能性がある。昔崩れた所や危険そうな箇所の養生を怠ると不安だ」 「この村に人が沢山いる頃は、豪雨や台風が来る予報があると、村々の人々は自らの水回りを管理してきたが、数戸に減って、高齢者ばかりでは十分な手当てができない」 と付け加えた。・・

「森林は、多種の生物が共存して生息し、いわば生物の生命維持装置として機能している。その森林を適正に管理し、保全するとともに森林の持続的整備を担っていることから、生命維持産業ともいえる。その両者を循環型に繋いでいるのが、生命維持基地としての山村である」 と紹介されていました。

 

人間の原点を今一度鑑み、自然の中の人としての感性も大事にしたいものだと、改めて思いました。ありがとうございました。