【神道つれづれ 54】 

※H29.11発行「社報」 191号より

 

もしも神様に会えなかったら、もしも神様の存在に気づかなかったなら、

私は、今、この世にいるだろうか。

 

新聞やテレビで子どもたちの自殺やいじめのニュースを見るたびに、胸が痛みます。

神様と言えば宗教。宗教を義務教育に導入することは、今の日本社会では許されません。ただ、家庭環境の中までは、学校教育は介入できません。

学校が難しければ家庭で、魂の世界や自然の理、今の現実にとらわれない 時空を超えた世界の事を伝えることができたなら、世の中の憎しみや苦しみが少しでも減るのではないかと、私は思うのです。

 

かつて、宗教を悪と決めつける風習がありました。今もそうなのか、今は違うのか、よくわかりません。少なくとも、私が神道を学んでいた学生時代、神道は宗教ではないと主張する教授がいました。神様は、いますがごとく と、教育する教授がいました。

何故? 貴方にとって、神様って、何なの?  神主が神様の存在に気づけなかったら神主はできない。神様を感じることができなかったなら、狂ってしまうでしょう。

 

世界宗教史に目をやると、過酷な環境で生きなければならない民族は一神教を。

自然とのつながりで生かされている民族は多神教を。

いろんな宗教の存在は、それが悪とは言い切れない。

 

人は、この世で、人として生き抜くために、何かに守られ何かを守り、自己の存在意義を確認する。それが人の姿をしていなくても、あなたを生かしている自然でもいいのです。

自分や現在を超越した不可思議な存在を目の当たりにすれば、きっと意識は変わるはず。

 

一人ひとりの細胞が、計り知れないくらいたくさんの命のバトンから生まれたこと。

今というこの瞬間は、目には見えないけれど、魂やいろんな細胞がつながりあっている瞬間。

だから、自分の独りよがりで、そのつながりを絶ってしまうのは、地球の細胞が壊れてしまうこと。 地球の秩序が乱れてしまうこと。

一人ひとりの命は、それほどと尊いことを、私は神様から教わりました。

 

大蔵嶽には岩屋(奥宮)があります。

私は物心ついたころから、心ある人たちと一緒に、毎月登拝をしていました。

岩屋に灯るロウソクの灯は、天井からぽつぽつと滴る水によって、消えることはありませんでした。

辛いことがあった時は、やさしい風が語りかけてくれました。

危険が近づいてくる時は、ざわざわと樹々が葉を揺らして守ってくれました。

悲しい気持ちの時には、谷川のせせらぎが、歌うようにささやいてくれました。

同世代の子がいなくて寂しい時も、周りの大人たちが、私に合わせて語りかけてくれました。自然も人も優しいのです。

自分が受け入れられる幸せを、幼心に感じました。

そんな地盤があったから、私は四面楚歌・心身の危険を感じた時、逃げることを選択しました。

 

誰も、他を傷つけようとするのではなく、生きるために必死なんだと気付いたから。

私は人を恨むことも自滅も裂けようと思いました。

その選択が良かったのかどうかわかりませんが、感謝の気持ちは今も変わりません。