【神道つれづれ 51】 

※H29.8 発行「社報」 188号より

 

最近、歳を意識し始めたからなのか、子どもの頃の事をよく思い出します。

神道について語ろうとすると、目にみえないことを伝えなければならず、自ずと 亡き父の事が思い出されるのです。

 

小さな子どもは、好奇心の塊です。私も子どもの頃はそうでした。そのため、ついつい夜遅くまで調子に乗って騒いでしまうことがありました。

そんな時、父に、「ごんごうじいに山へ連れていかれるぞ」と怒られたものです。

窓の外を見ると真っ暗闇。ごんごうじいは、真っ黒な体に真っ黒な目をしています。そして、窓の外を見ると、闇に紛れるのです。

「おおっ、はよぉ、かえらんか。うちには悪い子はおらんぞ」と、外に向かって叫ぶ父。すると急に恐くなり、私たち子どもは、静かに布団にもぐりこんだものです。

 

そんな父が、真っ青な顔をして、ある旅館の家祓いから帰ってきました。

その旅館で、坊主頭の怖い形相の大入道が、突然現れたそうです。そして、その大入道が歩いた跡の床は、びしょぬれになっていたそうです。その日を境に騒動は治まったものの、父は、二三日間、夢でうなされ続けたようです。

 

私が子どもの頃は、自宅の神の間で、お客さんの相談を受けることがありました。

ある日、襖の向こうで、急におばあさんのすすり泣く声が聞こえてきたので、私は気になって襖の隙間から覗こうとしたことがありました。 すると、母が「シー」と息をひそめながら私を止めました。父とおばあさんの問答がしばらく続き、静かになりました。終わりの挨拶の声。

襖を開けて出てきた人は、若い女性の方一人。おばあさんの姿はありませんでした。

全く、別の人が、体の中に入っていたとしか思えない、その不思議さに驚きました。

母は、「時には、そんなことがもあるもんなんよ」と、ただ言っていました。

 

私が中学生になると、自宅の裏に祭祀や古神道を学ぶ修道会の道場ができました。

その日は、修道会の会員さんが数名同席されていましたが、一家族で相談に来られた時の事でした。お客さんにお茶出しに道場に行くと、相談者の一人の男性の方が、急にすごい勢いでくねくねと体をくねらせ、畳の上を這うと、近くにある柱に巻き付いたのです。私はその方が柱から離れ倒れた瞬間に戸を開けたようでした。

興奮冷めやらぬ雰囲気の中、そこにおられた会員さんたちから、事情を教えてもらいました。  あれは、一体何だったのだろうか。

動物霊が何か影響を及ぼすことがあるなんて、考えられませんでした。

 

妬み恨み未練が強くて邪心になると、目に見えない負の力が働くことがあるのかもしれません。反対に、清らかな願いで事を起こせば、きっと目に見えない善霊・御神霊のご加護があるように思います。広い世界観で誠を尽くす生き方は、神道の原点です。如何なる時も、自分を見失わず、自分らしい生き方を、この世で貫きたいものですね。