【神道つれづれ 41】 

※H28.9 発行 「社報」 177号より

 

テレビで「しくじり先生」という番組をしていました。見てみると結構面白い。

しくじりの中には、学ぶことがたくさんあるようです。

私も、大失敗をたくさんしてきました。自分の人生に関する事なら仕方ないと思うのですが、若気の至りとはいえ、自分の軽はずみな言動で、神社に御祈願に来られた参拝者の方をとても不愉快にさせてしまったの事がありました。

 

それは、ご家族で長男の大学受験合格祈願に来られた時の事でした。

当時の神社(中宮)は、正式参拝者用の拝殿がなく、本殿の前に胡床をを並べて座っていただいておりました。祭主は弟、妹と私は巫女を担当し、御祈願が始まりました。第一志望の神戸大学が読み上げられた時、私の胸が高鳴り始めました。そして、あろうことか、私は、御祈願後に、ご本人に駆け寄り「無理をしないでください」と言ってしまったのです。

御祈願中、私には、その方の背後からいやいやオーラが燃え上がっていたのがはっきり見え、すぐに伝えなければという衝動にかられ、口から出るままに言ってしまったのです。

合格祈願に来られた方に言うべきことではない。しかも、家族全員の前で。はっと、我に返り、大変な事を言ってしまったと。反省しても後の祭りです。

その後、弟妹から、散々怒られたのは、お察しの通りです。

あれから、御祈願中に参拝する人を見ないように、裏方を手伝う事に決めました。

 

その数年後、神社(中宮)で、我が家の新年祈願祭をしてもらっていた時の事でした。

玉串奉奠の際、ビルが崩れ一階がペチャンコになる映像が目の前に現れたのです。

帰りの車の中で、夫や子ども達にその様子を話しました。それから数日後のことでした。阪神淡路大震災が起こったのです。

その時、テレビから流れる映像は、神社でみたものとそっくりでした。

血の気が引いていくのを感じました。そして、脳裏に浮かんだのは、あの神戸大学志願の方の事。私は、なんて中途半端なんだろう。しかも、無責任な心配まで。

この人には全く関係ないことかもしれないのに。。。

 

ただ、数日後、レスキュー隊員だった夫は、救援活動の為神戸入りしました。これは、夫が災害救助に行くことの予知だったのかもしれません。私の目の前に、中途半端に飛び込んでくる、とても怖い出来事。

今まで予知夢的なものは結構ありました。それでも、いつなのか。具体的なことは分かりません。そして、それが仮に現実になっても、それを語ったところで、相手は信じるどころか、不安になるだけなのです。

 

そういえば・・・。私が小学中学年の頃、父に歌手の坂本九ちゃんのことを聞いたことがありました。「九ちゃん、この頃テレビに出なくなったね」。

すると父は、「九ちゃんか。九ちゃんは飛行機事故で亡くなったんだよ」と答えたのです。    「えっ」。 びっくりしたので、よく覚えています。

その後、元気な九ちゃんの姿がテレビで放送され、「なんだ、父は誰かと間違えたのかな」って思いました。それから数十年後、これが現実になったのです。

なぜ、父は予知できたのか。わかってもそれを阻止することはとてもできない事。

そう考えると、私の愚かさが、蘇ります。

今となっては、どこのどなたかわかりませんが、本当に申し訳なかったと思います。

 

神主って難しい。

『万葉集』の代表歌人 柿本人麻呂は「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国」と言い

「敷島の大和の国は 言霊の助くる国ぞ ま幸くありこそ」と詠んでいます。

ひょっとして、昔の神主も、大失敗したのかな。だから、言挙げをしなくなったのかもしれません。

『古事記』に怖い神様として、一言主神が登場します。一言主神とは、大和の葛城(葛城)山の神。悪い事も善い事も一言で言い放つ託宣神です。

私は、もっと勉強し、経験を積まなければなりませんね。人として、人の心に寄り添えるようにならなければ・・。

 

教訓。「未熟なひらめきは、人を迷わすだけ。誰でも、自分の守護神を信じれば教え導かれるもの」   どうぞ、情けない、未熟な私を笑ってください。m(__)m