【神道つれづれ 31】 

※H27.5 発行 「社報」161号より

 

いつだったか、テレビで日本の宗教特集をしていました。街中のインタビューで、神道という文字が読めない。全く知らない人が多かったのには、驚きました。

 

因みに、インターネットで検索して見ると、・・・

「神道とは日本の土着の宗教です。日本の古代から現代に続く民族宗教であり、

日本人の生活文化の全般に浸透し、しかも外来文化を受け入れて、日本的に変容させるというエネルギーを持っています。その原点は、古来の民間信仰と儀礼の複合体で、動物や植物その他生命のないもの、例えば岩や滝にまでも神や神聖なものの存在を認めるいわゆるアニミズム(精霊信仰)的な宗教です。その起源は遠い昔に遡ります」とありました。

 

神道は、もともと自然信仰が始まりだったため、一時期、海外から原始的な宗教と非難されていましたが、近年は、神道に興味を持ち、神道を学ぶ外国人も増えているようです。

番組の中で、神道のお供え物について、神道の神饌(お供え)は、冷たい物だという説明がありました。

その基本的なお供えは、水・塩・米・そして、その土地で取れる産物が主・・。と。

 

私流の神饌解釈は、万一、飢饉などの非常事態に、最低限庶民が生きていけるものを、神様にお供えしたもの。

これは、そのまま、庶民の命を助けるものになるという事を伝えているのではないかと考えています。神社の成立や規模から、神社の祭りによっては、調理したものをお供えするものもあります。

今は、神饌(お供え)の起源が忘れられていますが、本来、そこに住む人々の生活の糧になるものや食文化を伝える大事な役割を果たしていたのではなかったかと。

森林インストラクターとして、山菜教室などに関わるうちに、子孫の無事を祈る先人の想いを、受け取ったような気になりました。

 

今の社会には、不釣り合いかもしれませんが、神饌を通して、先人の想いに心を馳せてるのもいいものですね。