【神道つれづれ 20】 

※H26.2 発行 「社報」 146号より

 

「天地の神にぞ祈る 朝凪の海のごとくに 波立たぬ世を」

これは、浦安の舞という神楽舞の歌で、戦時中、昭和天皇が詠まれたものです。

山の中で育った私は、凪を肌で感じたことがなく、穏やかな瀬戸内海のような海の状態をイメージしていました。

最近、瀬戸内の島で、何度も出前授業をする機会に恵まれ、白波が立つ海、天候が悪い日のどんよりした雲の下の暗く怖い海も、目にするようになりました。

天気の良い日の凪が、いかに穏やかで平和的であるか、恐い海を目にすればこそ、わかるものだと思いました。

 

神職の資格を取得し、さらに進学したにもかかわらず、学んだことが何も活かされないまま三十年が過ぎました。同期の友達は、ほとんど宮司になっていますが、残念ながら私は、神社界に貢献する機会に恵まれることはありませんでした。

 

同様に、神楽舞の指導者の資格も、役に立たたないまま年月が過ぎてしまいました。

でも、心の中では、浦安の舞の心を忘れたことはありません。舞は舞わなくても、神職として携わることがなくても、その精神は、今も変わりません。

一時期、友達に出遅れた自分を情けなく思うこともありました。

でも、自然を愛し、自然に向き合う生き方を選んだ自分の運命に、今は感謝しています。

 

神道そのものの起源も、自然と共に生きる道でした。

自然を知らずして、神道は語れない。自然を知らずして、古人の生き方に寄り添えないのです。自然は何も語らないけれど、そこには、慈悲の愛があります。

全てを受け入れ、万物に平等に接します。

 

自然は、人間のサイクルとは異なり、大きなサイクルで存在しています。

時に、私たち人間には、驚異の存在になることもありますが、何が善で何が悪であるか伝えてくれます。常に、そこに存在している様に見えても、刻一刻変化している自然。何もなかったように眠っている様に見えても、そこには、脈々と命の繋がりが続いています。この自然が元気に生きているからこそ、私たち人間も、生きていける。

本当に有難い存在です。

 

太古の昔、人はこの有難さに気づき、感謝し、自ずと八百万の神の信仰が始まったのでしょう。摩訶不思議な自然。

そんな自然と対話できる人に、いつかなりたいと思うのです。