【神道つれづれ 15】 

※H25.5 発行 「社報」 137号より

 

出雲大社と伊勢神宮の遷宮祭。

出雲大社では、本殿の屋根の吹き替えが終わったようです。数年前、出雲大社にお参りさせていただいた折、檜皮葺職人の不足が深刻な問題になっているとお聞きしました。正確には、ヒノキの皮を採取する職人不足だとか。一方、全国にヒノキ林は多く、ほとんどが伐採期を迎え、放置林になっているという現状があります。

出雲大社本殿に使われる樹皮は、幾重にも重なっており、厚い所は数メートルとかなりの量が必要だそうです。

 

太古の日本は、自然信仰から始まり、磐座に神々を招き、神事を行っていました。

その後、人が山から里に生活の場を移し、焼畑から水稲農法になり、衣食住の文化水準が高くなっていったと言われています。そこで、神様をお迎えする神社が必要になりました。恐らく、当時の建築文化の集大成が神社ではなかったかと、考えます。

 

私は、出雲大社での神職修行の経験はありませんが、火継ぎの神事は、伊勢神宮より出雲大社の方が、古い形式で斎行されていたように記憶しています。

 

学生時代、伊勢神宮の遷宮祭は、気持ちよく神様に滞在していただくために、建替えることはもちろんですが、社殿を再建するための技の継承を絶やさないためのものでもあると、教わったように思います。

林業から宮大工の技、道具作り、染料に至るまで、すべての工程に必要な技術もさることながら、日頃からのお日供や特別な日のお供え物に至るまで、当時の技術や品質の最高のものが準備されます。

その為、山・海・野に至るまで、そのために責任と誇りを持ち、最高の技を以て、寄進できるように、プロフェッショナル集団・地域を育てていました。

その技が、代々伝えられる最小にして最大周期を20年としたことが、伊勢神宮(内宮)の遷宮祭の特色です。

 

出雲大社は、その技術の高さ、建物の丈夫さから、数十年での老朽化はありえなく、

それゆえの課題に直面することになったのかもしれません。

そこで、国有林では、近年、檜皮葺に関わる後継者を育てる対策に取り組んでいるそうです。遷宮祭を通し、神道の神事は、日本建築文化の継承の役割も、果たしてきたのかもしれませんね。