【神道つれづれ 5】 

※H23.5 発行「社報」 113号より

 

戦後、マッカーサーが、日本人の宗教調査をしたことがあったそうです。

歴史学の専門家の中には、世界の歴史を考える上で、聖書を重要な資料として挙げている人が多いと聞いたことがあります。

戦争の勝者が、敗者の国を支配するためには、その国の伝説や神話に出てくる神と、

自分たちが信じている神を同一化する必要があったからです。そうすれば、平和に国を治めることができる。一神教の場合、神を同一化することで、平和な社会を築くことができると信じられていました。 

聖書には、その痕跡を学ぶことができるそうです。

 

私は、学生時代、「世界宗教学」の戸田義雄先生から、ブラックマリア信仰の話を聞いたことがあります。土着の女神信仰とマリア信仰が融合したのです。

そうすることで、お互いに平和な日々が約束されました。

 

戦争は、宗教に大きく関わると聞いています。しかし、日本の場合は、キリスト教化がうまくいきませんでした。何故なら、当時の日本人の信仰は、一神教のマッカーサーにとって、信じられない結果となったのです。

 

山には、山の神。川には川の神。海には海の神。自然界の神々は数知れず。

まして、家の中にも、神棚だけでなく、かまどやトイレにまで、数多くの神様を信仰していたのです。一人が何十柱の神々を信じて暮らしている現状が、どうしても信じられなかったとか。その為、キリスト教を国教化することができなかったと、母国に報告されたそうです。

 

今でも、神様・仏様・キリスト様と、苦しい時、こだわることなく口にできる日本人の根底には、八百万の神の信仰があったからだと思います。

これは、自分が生きている環境。繋がりを重視してきた国民の意識の賜物でもありましょう。

今、文明の発達により、それぞれの分野で独自に開花したものに、限界が近づいています。それぞれが、それぞれを一番優先してやってきたからなのでしょう。

 

でも、これからは、それぞれの分野で開花したものを、違う分野と共有することで、

無駄を省き、更なる発展が期待できることに気づき始めているように思います。

八百万の神々の信仰と同様、人は個を認め尊重しあい、そのつながりの中で、生かされていくのでしょう。

きっと、いつの日か・・・。    ありがとうございました。