【神道つれづれ 140】

※R7.9発行 「社報」285号より

 

「脚下照顧の夏」。   

これは、中国新聞(8/23)のオピニオン「潮流」の見出し。執筆者は論説委員 下久保聖司さん。その冒頭は

「山口市にある妻の実家を先週訪ねた際、玄関脇にかかる色紙が目に留まった。「脚下照顧」。曹洞宗の教えで〈自分の足もとを よく見直しなさい〉。他人をとやかく言う前に、己の言動を顧みよという深い意味があるそうだ。」‥以下略。

この続きの話は、政治談議に続いていましたが・・・。

私自身、近年、四字熟語に関心を持ち始め、こんな風に使えると文字も喜んでくれるだろうなって、ふと、言葉に夢中になっていた学生時代を 思い出してしまいました。

 

早速、手元にある三省堂の『新明解 四字熟語辞典』を引くと【脚下照顧】‥(解説)として、もと禅宗の語で、外に理想を追求するのではなく、まず自分の本性をよく見つめよという戒めの語。転じて、他に向かって理屈を言う前に、まず自分の足元をよく見て自分のことをよく反省すべきだということ。また、身近なことに気をつけるべきことをいう。「脚下」は足元の意。転じて、本来の自分、自分自身。「照顧」は反省し、よく考える、また、よくよく見るの意。「照顧脚下」ともいう。とありました。

 

自分の認識と、ほぼ同じでしたが、言葉は、時代と共に刻々と変化し、そして、新たな可能性を生み出す力も持っており、反対に、その力を失うこともあります。

それでも、四字熟語には、過去の出来事を短い文字で伝える力がありますね。

 

今の自分自身を見つめると、将来が不安になることが多いのですが、今を精一杯生きることで、陰が陽に、凶が吉に変わることもあります。

自分一人の足元なのか、自分の家族の足元なのか。自分の住む地域の人々の足元なのか。主体の人が、どれだけの人々と関わっているかどうかで、その世界観・価値観は変わってきますが、与えられた環境で、自分の健康・能力・立場を鑑み、出来ることを頑張りたいものですね。

 

無理をして我を通すと、周りの人々まで道連れにしてしまうこともあります。大変な時には、SOSが言える。「助けて。もう無理。お願い。」が、周囲の人に言えることも大切です。

三人寄れば文殊の知恵とも言います。 苦しいときに、愚痴をこぼせる人がいますか?。

支え合い、共有できる人がいますか?。困った時の神頼みでもいいです。

貴方の側にある草花でも、そこにやってくる小さな虫・チョウでもいいのです。

そっと語りかけてみてくださいね。

 

まだまだ暑いです。無理せず くれぐれも ご自愛ください。 有難うございます。