こんにちは ソラです
雨が降ったり晴れたり
寒かったり暑かったり…
体調の維持と、それと
春特有のココロを整えるむずかしさ!
新年度はとかくつかれるものですよね
何事も焦らず、まずは60点ぐらいでOKのきもち
仕事、ダンス、歩き旅…思い通りにはいかないもんですね…
最近できるようになったこと…
仕事帰りに徒歩で自宅まで歩けるようになってきました!
運動不足解消しながら季節の移り変わりを楽しめますよ
いつも見ている田んぼも少しづつ変化!
ほくほくの黒い土!
掘り起こされて ほぐれてます
ほんとうにまっくろけです
あと2週間ほどで水が入り
苗の田植えかも…
でも気のせいか、
休耕地が去年より増えているような…?
あくまで見た感じですが
毎年少しずつ、
茶色が増えてるような気がしてコワイです
おコメの値段以上に大変なのが
「作る人」が少なくなれば
「おコメ」そのものがなくなってきて
一部の人しか食べられない日がくるのでは…?
なんとかしないと、でも自分にできること
なにをすればいい?
などと考えながら歩いてると夕焼け空のもと
3.5キロの道の40分あっという間に自宅です
さて東海道はいよいよ吉田宿へ入ります
今回の地図 黄緑ラインが旧東海道です
昔の地図でみると、
豊川を北の抑えに半円形の形をしているお城でした
吉田宿のある街は戦国時代に
この地方の領主だった今川方の牧野古白が
「今橋城」(後の吉田城)の城下町として築いたものです
今川方のお城なので、東三河の松平氏の侵入を防ぐため
豊川の左岸(南側)にあるお城で
豊川がお城のある丘にドンと直角に当たり
右に流れを変えるという特異な場所です
守に易く、攻めるに難い、絶妙な場所ですね
今のお城の基礎は、姫路城に入る前の
池田輝政が改修してできたものでした
では東惣門のあたりからスタートします
※以下写真は2022年11月のものです
この日は二川駅から名鉄国府駅まで街道歩きしました
東八町の交差点のたもとに
東惣門のメモリアル案内板があります
城門特有の桝形のコの字が原型です
カクカクと3回ほど曲がって東海道へ
右へ曲がり
一本目の角を左へ
で突き当りをもう一度右へ曲がります
この道をしばらく西へトコトコと…
「竹細工」のお店!
地元佐倉の道っぽいですね
見知らぬ街…
街道歩きしなければ、たぶん一生歩かなかった道
名所めぐりにはない、未知の街探検!
くすの木通りを交差する道にあった
「曲尺手門」(かねんてもん)も今は昔…
中央分離帯にあった石碑がポツン…
豊橋は戦前軍都でもあり、
昭和20年の夏ごろ大空襲で
街中が火災にあって古い貴重な街並みが消えてしまいました
城下町や宿場町の面影を残すものは
今でもみつかるのでしょうか?
さっきの竹細工のお店に続き、ローソク発見!!
和ろうそくといえば、
うちにある会津の絵ろうそくを思い出しました
旧道街道は途中またカックンするのですが
ポイントは床屋さんの所で左折し
次の突き当りを右へ曲がりチョイと広めの道をいきます
突き当りの道路の奥の方に見えるミドリのあたりが
吉田宿の街を代表する名刹、「龍拈(ねん)寺」のあたりかな…
このお寺は必見のお寺です!
吉田城(今橋城)を築いた牧野古白のお墓もあるし
さらに家康のおばあ様で
人質で駿府にいた竹千代を母親のように養育をした
華陽院(けよういん)のゆかりのお寺でもあるんです
※生前は、お富の方といっていたようです。
つまり「とみ子さん」ですね
※画像お借りしました
聡明そうなお方…
さらにこのお寺には戦国時代の悲劇も!!
家康が桶狭間の戦いのあと、今川から手を切って
吉田城を攻めるときのこと
家康の裏切りを防ぐために人質としていた
「おのれ、家康の味方に寝返るとは!!と、
東三河の武将の妻や娘など10人余りの女性たちを
見せしめとして、龍拈寺の前で処刑されてしまったのです!!
ひどすぎる!!
とまあ、いろんな歴史があったわけで…
街道から少し外れてスタスタ…
見えた来ました!
曹洞宗のお寺なんですね
お地蔵様がいっぱい!!
空襲でほぼ全焼したお寺さんなので
みんな集まってきたのかな??
「音感向上」「空路安全」…
それぞれ願いに応じて専門のお地蔵様がいるようです
このお寺の貴重な建物群もほぼ空襲にあいました
復興した新しい本堂で、ナムナム…
あとこち境内の中をいくと
古そうな山門がありなんとこれが、
お寺でただ一つ 空襲の猛火をのがれて
唯一残った山門でした!!
歴史ずっしり…
お勉強タイムで、フムフム…
元禄6年(1693年)建立!!の山門
芭蕉が亡くなる前の年です
宝永の大地震で修復され、空襲の炎もなんのその
吉田宿の歴史を潜り抜けてきた証をミッケです!
さらに、牧野古白の塚はどこ?
墓地の一画にある大クスノキの根本に…
ドーンとした存在
ここが古白さんの塚でした!
牧野古白(成時)さんの子孫の一族は
徳川の譜代として越後長岡の地に定着しました
モリモリむきむきです
この木が実は古白の塚なのかも…
推定樹齢で300年を超える豊橋市内、最古の生命体です
街道に戻り、札木の交差点をすぎます
この辺りが問屋場や本陣の合った宿場の中心でした
旅館が65軒って、なかなか…
吉田宿はキレイ所を看板にする旅籠が多かったようです
豊鉄の市内線の札木の駅もここにあります
バスと違ってルートが分かりやすいのが路面電車の強み
しかも時刻が正確で、便数もたくさん!
旅人の味方でもあり、毎日の高校生の通学の足ですね
歩道も郷土愛!
豊橋は手筒花火の街でもあるとか…
スゴイ危険な感じですが、伝統芸能なので
多分大丈夫? 絶対大丈夫!
一度本物を見てみたい!!
しばらくいくと はて?
何やら香ばしい いい匂い!!
お団子やさんでした
そのまま素通りしようとして引き返し
お団子やさんにインしました
遅めのランチ代わり…
大正軒さん
みたらし団子が有名らしい
注文してから、焼きます
みたらし2つ注文しました
懐かしいだんご三兄弟…
外で食べるのが、茶店みたいで江戸時代風!?
カレー味のおむすびも…
おこげが手作り感満載ですね!!
外の景色は店の真ん前のステキな建物
「中京銀行」の白亜の殿堂です!
写真のとおり、みたまんま
「超おいしい、みたらしだんごのお手本のようなだんご」でした
たれもだんごの生地も パーフェクト!!
ここですっかりリラックスしすぎたのか
その勢いで脱いだ帽子を置き忘れてしまいました!
次の日ホテルに近いし すぐ近くの「菜飯田楽」の名店「きく宗」で
妻と一緒にランチを食べに行ったので
ついでに忘れ物のブツを取りに行きましたが…
「定休日」でした!
※続きます