私たちの卒業の頃は、女医として卒業した場合半分は結婚して、半分は結婚しないという風に言われていました。各学年ともおおよそそんな感じでした。

今は、三分の1が結婚、三分の1が未婚、三分の1が離婚だそうな。

いろいろありますね。

 

長崎大学医学部では、あからさまに女医はいりませんといわれていた診療科もありました。

泌尿器科、耳鼻咽喉科、第1外科など

周知の事実なので、名前は出してもいいと思います。

私が卒業する際に『今年から当科も女医をとることにした。』と第2外科の講師の先生が発言され大ニュースになりました。

それは『え?そんなこと言ってるの?』ではなく『なんと外科の一つが女医に門戸を開いた!』というものです。

私が卒業した平成元年はそんな時代です。

 

入局した私たちには当直バイトというものが回ってきました。

その際、『女医お断り』という病院もありました。

 

また、大学院の頃は大学からのお給料はないので無収入にも関わらず回ってくるバイトはマクドナルドの時給より少なく、これが奥さんがいる男性医師だったら、回っては来ないだろうと思いました。さすがに暮らしていないので、そのころの医局長に泣きついたのを覚えています。

 

そのころの先輩医師からは『女医さんは男性医師と同じくらい働いても低くみられるから、もっと頑張って働いてね』といわれ、人が嫌がる仕事も率先して引き受けましたが、さすがにへとへとでした。

内科で軽やかに歩いている同級生をみると、なぜ私は外科に来てしまったのだろうとちょっと思ったこともありました。でもそもそも内科医になる自信はありませんでしたし、形成外科という学問はとても好きでした。


写真は友人が還暦記念にお揃いで作ってくれたスワロフスキーのアクセサリー。