ブログを始めたきっかけは没になった妄想記事の紹介「近鉄長野線が五條まで延伸していたら?」もあった | 奥河内から情報発信

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ご縁があって2021年1月から南・奥河内に住むことになりました。そこで外部から来た視点でこの地域の情報発信をしてみようと思います。歴史、風景、景色などの写真も多数載せます。

いつの間にか始めていたこちらブログもほぼ毎日更新していますが、ふとなぜ始めたのだろうかと思ったとき、思い出したことがあります。これだけがきっかけではありませんが、没になった記事があってそれを日の目に出そうという狙いがありました。

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記事が没になった理由はいろいろありますが、少し妄想が入ってしまった記事があり、さすがにこれはまずいだろうということで没にしました。その記事は昨年の6月ごろに書いたものです。なぜこんな記事を書いたのかと思えば、その前の月に奈良県の五條に行ったのですが、そこで画像にある五新線の址という未成線の高架で一度も使われなかったものを見たからだと思います。

 

 

五條から新宮までもし鉄道がつながったらと想像した時に思い付いた妄想記事なので、没になりましたが、今回は1年半前に没になった記事を下に紹介したいと思います。

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【河内長野市】近鉄長野線が河内長野から五條まで延伸していたら?市内で可能性のある駅を想像してみました

いまさら書くまでもないことなのですが、河内長野市は大阪府にあります。しかし、大阪や河内地域よりも、県を接している和歌山の影響があるのではと住んでいて感じることがあります。

実際に長く在住している人から聞くと、和歌山の橋本に行くことも多いとか。さらに奈良県も県境のため、奈良の文化の影響があるという人もいます。

ここからは完全に想像の話ですが、もし近鉄長野線が河内長野が終点では無く、その先、例えば奈良県五條市までつながっていたらどうなのだろうかと考えたのです。

近鉄長野線は、明治時代に当時の河陽鉄道が高野山の参拝客を狙って計画された路線がもと。河南鉄道や大阪鉄道等と名前を変えながら、1954年(昭和29)年に近鉄線となりました。

この間、長野(現:河内長野)までは線路は引いたけれど、なぜかそれ以上は延伸されることはなかったようです。残念ながら当時の人は高野山しか見えていなかったのでしょうね。


(奈良県五條市に残る五新線の跡)

ただ、未成線(開通しなかった路線)に終わりましたが、かつての国鉄が奈良県の五条駅と和歌山の新宮駅を結ぶ五新線の計画がありました。これは紀伊半島を縦断する壮大な計画ですが、それなら大阪方面と五條(五条駅)を結ぶような発想があってもおかしくないのではと考えたのです。

(道明寺駅と道明寺線)

この考えだと、当時の国鉄が長野(河内長野)と五条を結ぶから長五線とか五長線とかを敷いて五新線と大阪方面を直通させると想像します。

特に近鉄長野線や南大阪線、道明寺線は1,067mmの狭軌を採用しており、JRや南海線と同じ線路幅なので、もしそういう事がありえてもお互いの車両が入れる相互乗り入れはしやすいです。

これは先日富田林のきらめきファクトリーで開催していた「富田林と近鉄」というイベントであったもの。かつての河南鉄道の時刻表です。

これを見る限り湊町(現:JR難波)駅から柏原駅を経由して長野駅に向かい、さらに南海側の線路に入って汐見橋駅まで運行していたように見えますね。

(河内長野駅に近鉄線が南海線に入れる工事したら、理論上近鉄電車が極楽橋駅まで走れる)

もし戦前にそういう計画が本当にあったとしたら、近鉄長野線や道明寺線は国有化されて、柏原方面からの電車が入ってくることになる。今ではJRの路線になっていたかもしれませんね。

先日近鉄長野線の一部区間が高架になりました。また片方だけなのであと1年くらいかかるそうですが。(2023年11現在では両方開通済み)とはいえ、富田林駅以降は単線でもあるこの区間を新たに線路を延長する可能性は限りなく少ないと考えます。だからこの想像は、もし戦前の可陽鉄道とか大阪鉄道時代に計画されて実現してたらということですね。

河内長野駅の行き止まりの先に線路が続き、それが奈良県五條市まで続いていたらどうなっていたのかなと。想像してみましょう。

すっぽん小町

現在富田林から河内長野の間は単線で、15分に1本ペースで運行されています。途中瀧谷不動駅で双方の列車が行き違いになっています。

でももし河内長野から先があったとしても、山の中に林間田園都市のような住宅地でも作らない限り、単線のままで延長区間の電車は30分に1本くらいになりそうですね。

 

近鉄の河内長野駅のホームは電車はひとつのホームしか使っていませんが、このように反対側も停められるようになっているようです。但しトイレやエレベータが設置されたので、2両分くらいでしょうけど。

 

仮にトイレとかが無かったとして30分に1本はこちらの線路を活用して河内長野行きとしてここで折り返して、残りの30分に1本は従来のホームを延長し、そのまま五条行きとして先に進んだら。

 

それでは河内長野から五条まで線路があったら途中駅はどのあたりになるか。想像してみました。

こちらは2022年の3月末で廃止になった石見川行きのバスですが、恐らくはこのバス路線に沿うような状況で線路が引かれると想像します。

河内長野駅の次の駅は、恐らく観心寺の近くに作られるのではと。観心寺の前になるか、その後ろ側にある千早赤阪村の小吹台のあたりか解りませんが、戦前なら小吹台はなかったので、それを気にする必要はないでしょう。

観心寺の近くに「観心寺駅」か「寺元駅」を作れば、観心寺の参拝客が利用しやすくなっていたのかなと。さらに戦後は河内長野駅ではなく観心寺駅を軸に、小吹台方面雪の連絡バス。それから日東町・大師町方面のバスが三日市町駅行きとして運行されるとか。

 

戦前であれば、大楠公こと楠木正成に対する信仰心は今とは比べ物にならないほど高いと思われますから、観心寺に鉄道の駅があれば多くの人が参拝していたことも想像できますね。

観心寺の次の駅は難しいですが、川上神社のあたりが距離的に無難でしょうか?鳩原と太井の集落があるので、「鳩原太井駅」もしくは、「川上神社駅」ができたのかも

 

その次はやはり小深でしょうか?ここから金剛山方面に道があるので、もし「小深駅」があれば、金剛山の登山客はここから連絡バスが運行されて、それに乗ることになったかもしれませんね。それからこの辺りで反対側からくる列車と行き違いになりそうです。

 

その先にあるのが石見川。バス停だったの石見川当たりよりももう少し先、水の杜さんの近くに「石見川」駅ができたのかもしれません。ここから登山道が開発されればハイキング客がみこめたかも。

ウォーターサーバー Frecious(フレシャス)

ただそうなると人が多く出入りするので石見川の最高水質AAがどうなるか心配です。

 

石見川を過ぎると峠を越えて、奈良県五條市に入ります。この画像は五條側から見た金剛山方面、五條の中心に向かう途中にもう一駅。「北五条駅」とかできそうです。

そのあとようやく五条駅に合流でしょう。大阪阿部野橋からの直通列車がここまで来たら凄いですね。もし本当にここまで線路があったらさらに先、高田や吉野口、あるいは和歌山方面に列車を走らせていたかも。

五條奈良県にある隠れた観光名所ですが、大阪方面から直通列車が来たらまたイメージ変わったいたでしょうね。

この車両も五條まで着ていたら......。

今紹介した想像をもとに路線図を地図で書いてみました。

ついにこんなものまで作ってしまいました。想像しだすときりがありませんね。

 

一見飛躍しすぎた想像がもしれませんが、和歌山の橋本同様に奈良の五條とのつながりも深いのは確かなようですから、全くあり得ないとは言い切れない気がします。実際に五條出身で、河内長野在住の人を知っています。

現に河内長野市内には、画像のように和歌山県が本社の紀陽銀行や紀北自動車学校の支店があります。さらに奈良つながりでは奈良県の影響と思われる柿の葉寿司の支店がありますね。

ということで、妄想に近い想像をしてみましたが、本当に近鉄長野線が奈良県までつながっていたら人の流れとかどうなっていたのかなと想像してみました。

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鉄道があれば、千早口や天見のように鳩原、太井、小深、石見川にも気軽に行けそうな気がしますし現状なら橋本駅でJRに乗り換えで行く五条駅にも直通列車が走るわけですからもっと行きやすくなっていたでしょう。

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