今日1日を振り返ろう 聖武天皇の皇后の名をもつ泉北高速鉄道光明池駅の元となる池を見てきました。 | 奥河内から情報発信

奥河内から情報発信

ご縁があって2021年1月から南・奥河内に住むことになりました。そこで外部から来た視点でこの地域の情報発信をしてみようと思います。歴史、風景、景色などの写真も多数載せます。

今日はいつもの河内長野周辺から少し離れて泉北高速の光明池駅に所用で行く機会がありました。和泉中央駅ができるまでは泉北高速の終着駅だったこともあるのか、光明池という駅の名前の印象が強いのですが、今まで駅の名前の元である光明池そのものを見たことがありません。

予定より1時間近く早く光明池駅に到着したので、せっかくなので光明池がどのようなものか見てきました。

光明池は駅から歩いて20分程度南側にあります。

光明池の光明とは、聖武天皇の皇后である光明皇后から名づけられたそうで、光明皇后が生まれたのが和泉市国分町にある浄福寺ということにちなんで名づけられたとのこと。

但し光明池は奈良時代にあったわけではなく、大正時代の農業用・灌漑用のため池として計画されることから始まります。

 

 

そのきっかけは、泉州地域で干ばつが発生したからということで、1936(昭和11)年に池が完成しました。

その後は、昭和50年代に本堤防改修工事が行われたそうです。

駅前からずっと陸橋が続いていましたが、この辺りで終わりです。

ここで一瞬行き先がわからなくなりましたが、

遊歩道を発見、川沿いに歩いていくと光明池があるはずです。

先程までの陸橋とは全く違う土の見える遊歩道を歩いていくと

やがて遠くに大きな堤防が見えてきました。

けっこう高い堤防が見えてきました。昭和50年代に改修されたもののようです。

 

 

堤防には階段があります。

階段のほうに向かって歩いていきます。

階段は結構急でしたが、頑張って上ります。

堤防の上に見ると大きな光明池が見えてきました。大阪府にあるため池では久米田池、狭山池に次ぐ広さがあるそうです。 

光明池の東側はけっこう奥まで続いていて、先に光明池大橋があるのですが、ここからは確認できません。さすがに池の遊歩道を歩く時間はないので、ここからしばらく池を眺めました。

反対側を見ます。手前に野球場があり、その先には住宅が広がっています。

大きな蛙がいます。雨乞蛙と書いてありました。

光明池の概要が書いてあります。改修した堤の長さは350メートルあり堤の高さは26メートル、貯水量は3,696,000立方メートルとのこと。

 

 

光明池の堤防を改修した時に、すでに痕跡しかなかった光明池守護神社を新たに造営したことが書かれています。
上の部分には祭神の名前が書いてあり、どの神社から霊を分けてもらった(御分霊)についての説明もあります。

 

光明池守護神社です。

 

複数の鳥居をくぐって拝殿に向かいます。

中央は天之水分大神、右が大物主神、左が稲荷大社を祀っているそうです。

光明池は昭和50年代の堤の大改修の時に神社が再建されるなど新たに生まれ変わったわけですね。

 

 

行きは階段から上がってきましたが、実は遊歩道があることを知りました。帰りは遊歩道を光明池駅方面に戻ります。

あべりあ橋とは光明池の東側にある陸橋のようで、地図を見る限りそのまま遊歩道が城山台や城山公園のほうに向かっているようです。

ということで今日は堺市と和泉市にまたがって存在する光明池を見てきました。次に光明池に行く機会があれば、もう少し時間をかけて東側の遊歩道、光明池大橋のほうに行ってみたいと思いました。

今日1日を振り返ろう

 

 

 

 

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する