平田玉蘊(ぎょくおん)(40) 「群蝶図」 絹本
横36㎝×縦100㎝
平田玉蘊の京都画壇一流の画家たちの蝶の寄書である。寄書した画家は円山派で応門十哲(応挙の中で優れた弟子十人)の画家の作品も見られる。
上から八田古秀(玉蘊の師)、渡辺南岳(応門十哲)、岡本豊彦、奥 文鳴(応門十哲)、円山応瑞、松村景文、平田玉蘊、田能村竹田が蝶を描いている。当時の京都画壇の実力者たちと蝶を描くことができたのは、玉蘊には大きな喜びであったろう。
奥文鳴、渡辺南岳は早逝で1813年(文化10年)に亡くなっているので、それより以前1811(文化8年)年頃にこの寄書の絵が作成されたと仮定すると、玉蘊25才の頃の作品と考えられる。
画の中心に蝶2羽も描いていることを考えれば、京都画壇の人々にも玉蘊の技量は評価されていたと言えるであろう。
玉蘊女子とわざわざ「女子」と入れて落款している所からも、玉蘊の晴れがましい高揚感が感じられる。
この絵の魅力は、絵だけでなく賛を入れている人々が素晴らしい。
この絵が1811(文化8)年頃作成されたと仮定して、頼山陽、菅茶山、頼杏平が賛をしたのは、1821(文政4)年頃のことと考えられる。「山陽詩鈔新釈文政4年巻六」に「画蝶」(絵の蝶を見て詠んだ)と題して、山陽の漢詩が収録されている。
ともかくも、平田玉蘊にとっては京都の一流の画人たちと競い合った記念すべき思いのこもった絵といえるだろう。描かれた蝶たちも伸びやかに空を飛んでいるかのようである。