こんばんは、今日はお家でゴソゴソ動いていた奥野君です。でもしばらく変化のある生活をしていたら、いろいろ行方不明になっていることが判明。しばらく探し物ですね(笑)。ちなみにお洗濯は今日ちゃんと乾きましたです。
ということで、鹿児島線葛葉貨物駅 K倉庫0.5km、北九州市0.3km、Nセメント0.8+0.3+0.2km、K飼料0.3km(I興産0.1km、M石油0.2km)
●撮影日 2021年6月25日
ここはかなり大きな貨物駅でしたが、所属専用線は少なめですね。

ここにもK倉庫がありましたが小さめだったので専用線は最初の方かな?

門司埠頭手前には飼料タンクがありました。名前は変わっていますが、これがK飼料かな? 分からないのがNセメント。

どうやって乗り越えていたのか?
●追伸
今日も2896様から貴重なコメントを頂きました。
『1984年頃に門司から門司港まで貨物線沿いを歩きました。 その時葛葉駅周辺も見て回ってます。 せっかく行ったのにスイッチャーが居なくて写真撮ってないのが今となっては悔やまれます。 門司駅扱いの専用線はK製鋼まで、その先は葛葉駅所管となってました。 前記事の現役飼料工場がK飼料になります。 その先にあったのが石油系の専用線で、前記事のGS付近になります。M菱、I光、M善の共同専用線みたいな感じだったようです。当時その付近の本線沿いには石油タンク車が並んでたので、現役だったのかな? その先にあったのがS公社の専用線で、これは葛葉駅の専用線でNセメントと共に最後まで残っていました。ワム貨車が入ってるのを見てましたが、スイッチャーまでは確認出来ませんでした。跡地は大型ディスカウントストアになってます。 その先にあったのが北九州市の倉庫?海沿いに国道を挟んで倉庫が並んでいて、航空写真では引込線が確認出来ます。 K倉庫は国道を斜めに横切っていて、踏切信号が生きてましたが、貨車の姿は確認できませんでした。終端には2軸貨車サイズのトラバーさーがありました。今でも当時の姿が一番残ってるのがK倉庫になります。 Sセメントは葛葉駅の門司港寄りから複線高架になっていて、工場と本線を挟んで海側にありました。荷役線は上屋で覆われていて、中の様子は見えませんでした、あとで東小倉のNセメントで伺った話では、35~45tクラスの中型機が使われていたそうです。 長文失礼いたしました。』
この頃に配線図を手に入れていたのですね。うらやましい・・ そうなんだ。Nセメントは高架線でたぶんパイプか跨線橋で繋がっていたのでしょうね。でも所属専用線がこんなにズレているとは・・ まあ貨物駅所属専用線は年代で変わることがあるので、そうなのかな? ちなみに奥野君の記載は昭和45年のはず・・ あとで調べてみよう(殴)。
ではでは、明日は雪~~なのに持病診察です。出発は少し遅くていいので、電車で行こうかと思案中です。
オミちゃん、やはり増え始めましたね。また大騒ぎするのかな? まだワクチンのお手紙は来ませんが、日が長くなるとお出かけ虫が疼くので(殴)、出来たら3月までには打ちたいです。まあその前に現役線めぐりでお腰の調子を確かめなきゃ。ちなみにベッドで寝るようになってからだいぶましになっていますです。
で、ちょっと社会的ネタを。いま中国とアメリカの対立が激しくなっているようですが、いつまで続くのかな? 残念ながら思想的なことは別にして『社会主義経済』の成長に『資本主義経済』は追いつかないのは明白なもので。正直中国もあんなに統制しなくても、『社会主義経済』の利点を生かせばうまく行くのに。もちろん中国の動きは奥野君的には気に入らない事ばかりなので、うまく行って欲しくないですが。
意外なことを書き出したと思われるかもしれませんが、『資本主義経済』の特徴は『競争社会』。競争するというのは経済を伸ばすと思われているようですが、実は競争するというのは同じレベルの会社の一方が要らなくなるという無駄を生み出してしまいます。『資本主義経済』というのは『無駄を創造』する社会でもあるので、『無駄のない』社会に勝つことは出来ません。正直なにも創造しない『営業マン』という職業は、残念ながら無駄な職業だと思います。まあ石が飛んできそうな落書きなので、聞き流してくださいね(笑)。でも50年後、アメリカと中国の関係がどうなっているのか、危惧を覚える奥野君でした(マル)。




