「存在の耐えられない軽さ」ミラン・クンデラ | OKPARIS王様のBOXSTEP投資

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3月8日(金)

3月7日で、あべのハルカス開業10周年

 

「存在の耐えられない軽さ」ミラン・クンデラ
池澤夏樹編集・世界文学全集


クンデラは、チェコ出身(50歳を超えてフランス国籍取得)
 

チェコといえば、チャフラフスカヤ、もといチャスラフスカしかその国の人の名前をあげることはできないが
西側に国のひとつになって
日本には、とんと情報が来なくなった

 

チェコ館のイメージ(ボヘミアングラスをモチーフ)

2025大阪関西万博のHPから

この小説は
上部構造としては、プラハの春(1968年)
下部構造としては、男女の営み

からませる
かなり刺激的な表現がおおい

「母親の、おなら」 p55
「再会時に腹鳴!」 p63

男女が邂逅して、抱擁する
その瞬間にグーと胃の嘆きが漏れる、、、そんなシーンあり?

下部構造については
↓に一節を引用するにとどめよう

上部構造については
ロシアがプラハに侵攻した<プラハの春>で
主人公のひとり外科医師トマーシュの行動が
想像を超える・・事実は小説より奇なり
なのか想像力の産物なのか?

<オィディプス王の例え・・自分で自分の目をくり抜く>
になぞらえた体制批判の文章(編集者の改ざん)が雑誌に載る

体制に目をつけられて
じわりソフトに転向を迫られる・・が

 転向 = 公開声明書への署名 p220

署名すれば、昇進

→(転向拒否・昇進回避)国家公務員医師から窓拭き掃除人に p220  

女性から指名ひっきりなしの掃除人
当人は飽くなき女性への観察意欲


箴言的なフレーズが多くて
思想の記述(ex.「キッチュ」)はやや難解ながら
じっくりかみしめる甲斐はある

上部構造にかんするテキストは
断片的
同時代の朝日ジャーナル読者なら
往時において文脈を埋めるのは可能かもしれないが
大過去となった現代・・困難

トマーシユ 
テレザf  カメラ・ウーマン
カレーニン (ペットの犬

サビナf トマーシュの女友だち p73
 ボヘミアからスイスに亡命 p10 → アメリカへ
フランツ p94

マリー・クロード 
 フランツの妻 画廊経営
マリー・アンヌ
 フランツの娘 18歳 p123

シモン(仮称) トマーシュの息子 p242 編集者ともに宣言への署名を求める
 p312
 
処刑志願者 p171-172

p228


彼はこれらすべての女性たちになにを求めていたのか?女性たちのなにが彼を惹きつけるのか?肉体の愛は同じことの永遠の繰り返しではないのか?
まったくそうではない。想像できないちいさな部分がいつも残るのである。きちんと服を着ているひとりの女性を見ると、もちろん彼は、その女性がいったん裸になるとどうなるかを多少なりとも思い浮かべられる(ここでは、彼の医者としての経験が愛人としての経験を補ってくれる)。しかし、観念の大まかさと現実の正確さとのあいだには、想像できないちいさな空隙が残っていて、その空隙が片時も彼の心をそっとしておいてくれないのである。それにまた、想像できないものの追求は女性の裸体の発見とともに終わるのではなく、さらに遠くへと突き進む。この女は服を脱ぐときにどんな顔をするのか?性交しているときに、どんなことを言うのか?喘ぎ声はどんな音調なのか?絶頂の瞬間に、あの顔にどんな歪みが刻まれるのか?


父親のことを「あんた」と呼んだ息子との

チェスプレー p250