「エイ!」

 

森田必勝君の気合と共に、

 

 「ゴツン」

 

頭をバッドで思いっきり殴られたような衝撃が走る。

 

小刀を握った手を握り直した。

 

よし、まだ意識はある。

 

力の限りそれを左へ引く。

 

鼻の奥にしびれが走る。

 

身体の中に鉛を流し込まれたように、重くだるい。

 

段々と力が抜けてくるのが分かる。

 

これ以上小刀を動かすことが出来ない。

 

「カァ・・・」

 

「介錯せよ」その言葉が声にならない。

 

「浩ちゃん頼む」

 

遠くで、森田必勝君の泣きそうな声が聞こえる。

 

森田君は、私の介錯に失敗したのだった。一刀のもとに私の首を落とすことが出来ずに、後頭部に打ち付けた。

 

二度目、三度目も切り損じ、このままでは私は意識をなくしてしまう。

 

それで心得のある古賀浩靖君に介錯を頼んだのだった。

 

瞬間、顔を思いっきり叩かれた。

 

私の中で何かが破裂した。

 

頭の中に火花が走る。

 

急に身体が軽くなって宙を飛んだ。

 

どちらが上で、どちらが下か分からなくなった。

 

どんよりとした曇り空に、羽虫のようなヘリコプターがせわしなく飛び回る。

 

目の端に私の書いた檄文が風にあおられている景色が映る。

 

首のない私が見える。

 

背筋を伸ばし、小刀を腹に突き刺したままの姿。

 

我ながらあっぱれである。

 

私は日本男子の死に様の誉れである切腹を成し遂げたのである。

 

近くでパンと手拭を叩くような音がした。

 

ゴロンと森田君が近くに転がってきた。

 

首だけになった森田君は目を開いて私を見ている。

 

純粋な目だ。

 

私はそれを求めていたのだ。

 

私は森田君の純粋な目に映し出されるだけでよい。

 

私は森田君いや純粋な心を持った若者の目に映し出されるだけでよい。

 

私は、その目に魅了されたのだ。

 

介錯をした古賀君が転がっている私の頭に向かって、何か言ってきた。

 

上手く聞き取れない。

 

私は音の出ない声で「作戦終了」と告げる。

 

森田君をはじめ、皆良くやってくれた。

 

私の頭の中に、古賀君、小川君、小賀君の凛々しくも清々しい顔が浮かぶ。

 

これぞ益荒男の顔だ。

 

日本男子たる正に武士の顔である。

 

私は、その瞬間を待っていたのである。わたしは、その瞬間のために心身を鍛えぬき、真の武士であろうとしたのだ。

 

そして本懐を遂げることが出来たのだ。 私の言行、書物、行動が、ここに見事な統一を見せた。

 

私は、この日本の国において、永遠に武士として名を残すことが出来たのだ。

 

私は、これで永遠なる生を確信した。

 

 

私は生きている。

 

賢明な読者なら、もはや説明することはないと思うが、『豊穣の海』にその手掛かりは書き記しておいた。

 

その中に、織り込んでいるコンテンツを読みこめば、私が何処に向かおうとしているかが分かるはずだ。

 

私は生まれ変わったのだ。

 

魂は不滅であり、鮮烈な死を遂げたものしか、再生の糸口はつかめない。

 

私は、自分の書いたシナリオ通りに進行し、成し遂げたのだ。そして見事に成功した。

 

私の魂は、今ここにある。

 

その従者である肉体は、私の最も理想としたものを得ることが出来た。

 

もう、老婦人が衰えた皮膚と肉体を化粧と宝石で補うように、貧相な肉体に無理やり筋肉を貼り付ける必要はなくなった。

 

私は、全裸になって全身を鏡に映す。

 

ギリシャ彫刻のような肉体を得た。

 

私は、鏡に映し出される自分の姿に魅了される。

 

最早、虚構を着飾る必要はない。

 

追い求めていた理想が、現実になったのだ。私自身が、美の主体になったのだ。私は、それを望んでいたのだ。

 

私は、純粋に私を愛せるようになった。

 

肉体は、精神をも変えた。

 

ただし、精神のみで、その神髄となっている魂は変わっていない。

 

だが肉体によって、精神は純化され研ぎ澄まされた。

 

最早、コンプレックスに裏打ちされた脆弱な核心に重厚な鎧を纏わせずに負えなかった精神が、透き通る原石のように一体化して曇りがなくなった。

 

文体が変わった。

 

「文体は、その人の人格を現す」かつての私の言葉だ。

 

まさにその通りだ。

 

私は、もう幾重にも修飾語を重ねる必要は無くなった。その肉体に合致した文体でよいのだ。

 

明朗で快活な文章を書く。

 

そこには、何の偽りもない、心の赴くままに書き進めればよいのだ。

何と心地よいことではないか。

 

草原を駆け巡るように文字を連ねれば良いだけなのだ。文脈は、鼻歌のように自然に流れ出る。

 

私は生まれ変わったのだ。

 

さあ、また新しい歴史を創り出していこう。