安楽死という大きなテーマを前に、作家の苦悩する姿が目に浮かびます。

 

「死」とはどういうことか。その前の「生きる」ということは、どういう意味なのか。

「人間の尊厳」「心の存在」疑問が増々重なり合ってゆきます。

 

 

科学技術が進化して、医学が進歩してゆくほど、その定義があいまいになってゆくのではないでしょうか。

 

作者は、プロローグですでに頭の中で出来上がっていたプロトが、徐々に朽ち果ててゆき

綿密に構成していても、いたるところに綻びが出てくることに気が付きました。

 

目の前に大きな壁がそびえたっています。どんなにあがいても乗り越えることが出来ない大きな壁です。

 

作者は、それがあまりにも大きな壁なので、自ら乗り越えることを諦めました。地上のずっと上、雲よりもずっと上の天空から、登場人物を客観的に眺めることにしました。

 

登場人物それぞれに己の魂を植え付けることを諦めました。それらの登場人物は、作者の思いのひとかけらも込められていない、形骸化したロボットとして書くことで何とか書くことで心の均整を保つことが出来たのです。

 

すべての感情移入を読者側にゆだねてしまったのです。

 

この小説をすでに読まれた方も、まだお読みでないかも、お勧めの読み方を紹介します。

 

それは、この物語に出てくる登場人物を一人に絞って、その人に思いっきり感情移入をして読んでゆきます。それは、ある意味作者との戦いでもあります。

 

一人の登場人物に思いっきり感情移入をしてしまうことは、当然他の登場人物は否定し、拒絶することになります。

 

自己の世界に登場人物を無理やり引きずり込んでしまうのです。

 

読み初めは車の少ないハイウェイをぶっ飛ばしているように、進んでゆきますが、読み進めていくうちに、段々と道が細くなり悪くなり、心細くなってゆきます。

 

そして、最後は治安の悪いダウンタウンの行き止まりにきてしまったような思いで、この物語を読み終えます。

 

なんとも言えない後味の悪いエンディングです。

 

やりきれない思いで、その本を閉じた瞬間に、

東野圭吾という一人の人間が、あなたのそばにいることに気が付くでしょう。苦悩する東野圭吾の息遣いが聞こえてくるでしょう。

 

苦悩する東野圭吾が身近に感じることができるすごく良い作品です。