旧 本多静雄邸。(民芸の森) | おこしやすだ、おいでやすだ。

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愛猫のニャン吉、家庭園芸、クワガタ飼育や採集、城跡や寺社巡り、道の駅巡り、ドライブや低山登山など行き先々先での景色、様子、その他日常生活での出来事を綴ります。


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こんにちは。ニコニコ


昨日の春の嵐(暴風雨)はすごかったですね~。台風


でもまた、清々しい天気に戻り、良かったです。晴れ


テンション下がる火曜日、だけど、春の匂いがプンプン漂ってくるのが分かりますね、そのおかげで、なんとか下がりかけのテンションも持ち応えているような感じがしますね、春の匂い?個人それぞれに感じるものが違うでしょうが、オイラは新緑の時の山からの空気や、地面に咲く草花や菜の花などの何か緑臭い?匂いですね。キラキラ



さて、今回で柿野街道の話はとりあえず終わりになります。あせる


下の神様で健康をお願いした後、そのまままっすぐにバイクを走らせれば、名鉄三河線平戸橋駅にたどり着きました。自転車


おこしやすだ。 名鉄平戸橋駅。


この平戸橋駅、オイラの田舎にも同じように平戸と言う所と平戸大橋と言う所がありますが、(松浦鉄道平戸口駅が本土最西端駅)呼び名が違うんですよね、ここはヒラト、オイラの田舎の方はヒラドなんです、同じく橋はありますが、こちらは矢作川に掛かる橋で規模的には全然こちらが負けていますけどね、あちらの橋は素晴らしく美しく、本土と島を繋いでいます、最初こちらに来た時には親しみがどこかありましたね・・・って、ちょっとした雑談でした。OK



さて、その平戸橋駅から平戸橋へ向けてバイクを走らせると、案内看板が見えました、その看板にオイラの目は釘付けのように見入りました。目


おこしやすだ。 案内看板。


民芸の森?なんじゃそりゃ?それが第一印象でしたが、何やらここの辺りで偉い人(国からいくつか勲章授与されたり)が住んでいた住居があるらしいとの事、なにはともあれ、一度くらいは覗かねば・・・そんな野次馬根性を発揮するオイラでした。にひひ


※本多静雄・・・豊田市出身の実業家、陶芸研究家、1999没、享年101歳



ところがですよ、その民芸の森は、その看板の前の道路越しにあるうっそうとした木々が茂った場所のようでした。叫び


おこしやすだ。 この森が実は・・・。


さて、どこから入るのか?その前に、旧家とは言え、人の家であって、まだその後の子孫も住んでいるとか・・・。家


さて、どうする?困ったオイラでしたが、あきらめる事無く、敷地の周りをぐるりと回って見ました。走る人


おこしやすだ。 広い敷地でした。


今や豊田市出身で有名と言えば、ものまねの福田彩乃ですからね~、ローラや長沢まさみ、綾瀬はるかなどで笑わせてもらっているオイラです・・・って、関係ないっか。にひひ


敷地内には入る事は出来ませんでしたが、甲斐間見える場所から、それぞれの建物を撮影させて頂きました。カメラ


おこしやすだ。 旧本多邸母屋と小屋。


さすがに偉い人は住む規模が違いますね、建物は今でこそちょっと古さは感じますが、これだけの敷地内にあれやこれやと建っているんですよ。OK


おこしやすだ。 茶屋。


オイラなんて、お茶にはそれほどと言うか、ほとんど縁が無いので、(抹茶自体生まれて数回飲んだくらい)生活様式、家柄や身分が違うな~とか感じてしまいましたね。お茶


おこしやすだ。 田舎家。


ただ、これだけ全てがあった訳ではなく、他所から移築されたものもいくつかあるようです。注意


それでも奥には現在の子孫の方の住まいがあって、ちゃんと表札も掛かっていました。流れ星


おこしやすだ。 現在の住まい。


こうした身分違いの人の家なんて、大人になって初めて訪れたのでなんか場違いのような気がしたりもしました。しょぼん


小さい頃、学校の友人にもエライ坊ちゃんがいましたが、その子の家に遊びに行くのは抵抗ありましたよね、お手伝いさんがいたりして・・・。ガーン


出されるお菓子なんて、見慣れないものばかりだったし、庭には枯山水があったり、大きな池にはそれに似合う大きな鯉がウジャウジャいたりして立派な日本庭園・・・貧乏人のひがみですが、今ではオイラもプラモデルくらいなら日本庭園作れます。クラッカー


そんな本多静雄氏の民芸の森を外から見学して、何か不甲斐ない今の自分にショックを受けたりしました。ショック!


ちょうど、バイクにまたがった頃に小雨が降り出し、慌ててそのまま自宅へ向かったオイラでした。ニコニコチョキ


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